同志社人インタビュー第17回 ~島田耕園人形工房 島田 耕園さん~
同志社人インタビュー第17回目は、前回の今西 善也さんにご紹介いただいた、島田耕園人形工房 島田 耕園さんにインタビューを行いました。
京都・清水の二寧坂にある店舗を訪問し、貴重なお話を沢山お伺いすることができました。
ぜひ最後までご覧ください!

(二寧坂にある店舗にて)
島田 耕園氏 島田耕園人形工房
1980年同志社大学法学部卒業
インタビュアー
・同志社大学文学部美学芸術学科4年次生 安藤 海伽(写真:右)
・同志社香里高等学校3年⽣ 白井 千尋(写真:左)
Q.御所人形のふっくりとしたほほと愛らしい紅をさした唇に美しさを感じました。制作工程の中で、島田さんが特に思い入れのある工程はありますか。
A.どの工程も御所人形を制作する上で本当に大切ではありますが、形を作る段階では、三頭身から四頭身の中に「子どもの究極の可愛さ」を表現することに思い入れがありますかね。何のために作っているか、何を題材に作っているか、その子どもを通じて何を言いたいのかを形に入れ込まないと、形がとても曖昧なものになってしまいます。他にも、人形に胡粉を重ねていく工程は特に思い入れがあります。胡粉はイタボガキを砕いたものから精製され、人形に何度も塗り重ねていくんですが、配合や塗り方によって質感や光沢が違ってきます。胡粉の白は、それぞれの家、さらにその人によって違いがあるので、父や祖父、その前の代の白と僕のものとは違います。この胡粉で仕上げる作業は、御所人形の命と言ってもいいでしょう。
Q.「子どもの究極の可愛さ」を表現すること…。そのような表現をされる中で、特に大切にしていることは何ですか。
A.大切にしていることは、何を伝えたいのかという軸を持ちながら、あえて全てを説明しない「余白」を残していくことです。御所人形には子どもの究極の可愛さを三頭身から四頭身で表すという様式美の決まりがあり、その枠の中で表現しなければなりません。ですから、その「不自由さ」の中でどれだけ「自由」に表現できるかを常に考えています。
全てを表現し尽すのではなく、一歩手前にとどめることで、見る人が自分の経験や感情を重ねられる余地が生まれます。そうすることで、人形は見る側の中で完成していくものになると考えています。僕たちは、今を生きている人間としてその時代に求めていることや未来へどう生きていくかということを形にし、見る人に提案していく存在でもあると思います。だから、この人形を作る者たちは「提案者」なんだなと感じますね。
Q.「余白」を作っていくために、島田さんが心掛けていることは何でしょうか。
A.「気づき」でしょうか。御所人形を作る題材というのは、自分の人生のあちらこちらに転がっていて、それに気づくかどうかだと思います。例えば、父が亡くなった後、お寺に挨拶に伺った際に、たわわに実ったザクロの木を見て、「これで追悼の人形を作ろう」と感じたことがありました。そういった日常の出来事に気づくことができるかが、人形を作るだけではなく、人生においても大切だと思います。気づいたことしか人は理解をしようとしないし、そこから先に進もうとしないでしょう。僕はこうした気づきの積み重ねが、人形の表現にもつながっていると感じています。
Q.お仕事をする中で自分に合っているなと感じるのは、どのような時でしょうか。
A.合っているというより向いていると感じるのは、一人で黙々と作り上げていく時ですね。小さい頃から仲間と一緒に遊ぶのも好きでしたが、一人遊びも好きだったので、自分をどう見せるか、どう相手に伝えるかをずっと考えながら、一人で何かを作り上げていくというのは全然苦ではないです。若い頃は夕飯を食べてから制作を始めて、そのまま夢中になって、気が付いたら夜が明けていた、なんてこともよくありました。それから、この仕事は代々続いてきたものなので、幼い頃から父が御所人形を作る姿を見て育ってきました。その影響もあって、「こうあるべき」という意識も自然と身についていると思います。ですので、仕事として数を作るものと、自分の表現としての作品とを分けて考えながら続けてきましたが、どちらにしても、自分の人生を形にしているという感覚があります。そういう意味でも、この仕事は自分に合っていると感じています。
Q.学生時代についてですが、どんなことに打ち込んでいましたか。
A.学生時代は、とにかく部活動ばかりやっていましたね。中学はバスケットボール部、高校はラグビー部で一生懸命に取り組んでいました。中学では地区の優秀選手として表彰された経験もあるんですよ。バスケットボール部の仲間とは、当時ロングボードのサーフィンにも打ち込んでいて、彼らは今でも付き合いのある友人です。それから、なぜかグリークラブの先生に気に入られて、どこでも歌わされました(笑)。高校ではラグビーをしながら、文化祭や体育祭でカレッジソングや讃美歌などたくさん歌っていましたね。
(同志社香里高校時代、ラグビー部(左) 同志社香里中学3年、生徒会長(右))
Q.充実した学生生活を過ごされていたのですね。大学ではどんなことをされていましたか。
A.高校で怪我をしてからはラグビーをやめて、スキーとテニスをしていました。特にスキーは、自分たちでツアーを企画して、パンフレットを作ったり、ペンションと計画を立てたりして、学生を集め、バスで連れて行っていました。今思うと、よくあんなことできたなと思います。あとは、法学部だったのでゼミは山本浩三先生のもとで学びました。色々な雑務も含めて積極的に引き受けていたおかげもあってか、山本先生とはその後も長く親しくさせていただきました。当時は、銀行から内定をもらっていたのですが、先生に「どうせ家業に戻ってくるのなら、遠回りせずに入ったらどうや」と言われて、今の道に進みました。あの言葉がなければ、今の「苦しいけど楽しい人生」は送れていなかったかもしれません。
(大学時代主催していた スキーツアーに行った時)
Q.最後に、島田さんの同志社に対する想いをお聞かせください。
A.中学からだと十年、同志社の中で成長していくことになると思います。在学中に出会った仲間とは、卒業後もずっと交流が続くことが多く、まさに一生ものの縁になるでしょう。そうした縁を大切にしながら、卒業後も同志社人であることに誇りを持ってもらえたら嬉しいですね。
インタビューを終えて感想
■安藤 海伽さん(同志社大学文学部美学芸術学科4年次生)
インタビューを通じて、御所人形に込められた島田さんの思いだけではなく、人生においてのアドバイスをいただいたように思います。艶やかな白い肌、愛らしい丸みを帯びたフォルム、御所人形を形成する全ての要素に島田さんが表現する「子どもの究極の可愛さ」を感じられ、私自身がこの人形にどんな思いを託したいかと考えるようになりました。この先も美術作品に向き合う際、既存の情報だけではなく、まずは作品に対して自分が何を感じたのか、どのような部分に惹かれたのかという、自身の感覚に誠実でありたいと思います。自分自身の内側から生まれる反応を受け止める、その積み重ねによって作品との豊かな対話を育んでいきたいです。
■白井 千尋さん(同志社香里高等学校3年生)
島田さんが仰っていた「余白」の大切さに共感する部分が多かったことがとても印象に残っています。全てを詰め込みすぎるのではなく、あえて余白を作ることによって見る人に考えさせる隙を与えることができること、そして見た人が余白から考えることによって作品が成り立つということ。作品は作り手と受け取り手があって初めて完成し、成り立つものだということを感じました。これは御所人形に限る話ではないと思ったし、御所人形に限る話ではないからこそそれぞれの世界の繋がりを感じることができました。また、島田さんが幼少期から1人遊びが好きだったことが今のご自身の職業の特徴に通じるものがあるというお話がすごくおもしろかったです。昔も今も変わらないもの、通じるものがあるということを感じました。貴重なお話をありがとうございました。
【島田さんから次回の同志社人インタビューに登場してくださる方をご紹介いただけないでしょうか。】
現在、調整中。
決まりましたら、ホームページ内「お知らせ」にてお知らせさせていただきます。













