同志社大学設立の旨意(抜粋)の多言語化
(英語、中国語、韓国語)

明治21年、新島襄は20をこえる新聞、雑誌に「同志社大学設立の旨意」(以下「旨意」と略す)を公表して大学設立への協力をよびかけました。この文章は、前半で同志社諸学校開設に至る経緯をかたり、後半で今なぜその上に大学が必要なのか、いかなる大学であるべきかを熱っぽく論じた、若々しい気魄のこもった名文です。 この「旨意」は毎年、入学式で一部朗読されますが、今でもそれを聴くとき胸の高まりをおぼえる同志社人も多数います。

新島襄は私立大学を「人民の手に拠(よ)って設立」することを考えました。当時大学とよばれるものは、官立の東京大学一校のみでした。これに抗して、全国の賛同する民間人の手によって、つまり自発的結社という新しい組織原理によって大学を創ろうとしていました。自発的結社といえば、「同志社」つまり"志を同じくする個人の約束による結社"という名前自体この理念を示しています。福沢諭吉の慶應義塾も同様の結社で、当時はこのような試みが可能な時代でもありました。