同志社人インタビュー第6回 ~IOC委員、国際フェンシング連盟 理事 太田雄貴さん~
同志社インタビュー第6回目は、前回伊住禮次朗さんにご紹介いただきました、IOC委員、国際フェンシング連盟理事として活躍される太田雄貴さんにインタビューを行いました。
同志社で過ごす私たちの心に響く、貴重なお話を沢山お伺いすることができました。
ぜひ最後までご覧ください!
≪プロフィール≫
太田雄貴 氏
国際オリンピック委員会 アスリート委員
国際フェンシング連盟 理事
1985年11月25日生、滋賀県出身。
平安中学・平安高校(現:龍谷大学付属平安中学・高校)、同志社大学出身。
小学校3年生からフェンシングを始め、小学、中学、高校と全国大会を連覇。
2008年 北京オリンピック 個人銀メダル獲得。
2012年 ロンドンオリンピック 団体銀メダル獲得。
2016年 リオデジャネイロオリンピックにも出場。
日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任し同年に現役引退。
2016年11月 国際フェンシング連盟 理事に就任。(現任、2期目 2024年11月26日まで)
2017年6月 公益社団法人 日本フェンシング協会理事に就任。
2017年8月 公益社団法人 日本フェンシング協会会長に就任。(2021/6/19退任)
2018年12月 国際フェンシング連盟 副会長に就任。(2021/11/28退任)
2021年8月 国際オリンピック委員会 アスリート委員に就任。(現任)
インタビュアー
・同志社大学法学部4年次生 青木 菜々子(写真:右)
・同志社大学政策学部2年次生 河合 優里(写真:左)
Q:フェンシングを始めたきっかけは何ですか。また、いつ頃からフェンシングを仕事にしようと考えるようになったのでしょうか。
A: 私は3人兄弟の末っ子なのですが、父親から勧められたフェンシングを、兄も姉も、すぐにやめてしまいました。父親に買い物に連れていかれ、「スーパーファミコンを買ってあげるから、フェンシングを始めないか」と誘われて、もの欲しさに始めたのがきっかけです。
フェンシングを仕事にしようと考えたのは、大学4年生の後半あたりからだと思います。ちょうど就職活動の時期で、就職活動を行いながら、現役で競技をするというような器用なことは僕にはできないと思いました。なので、4年生の頃には、東京に環境を移し、500日合宿の最中だったので、ほぼ、フェンシングしかしていなかったですね。そして、大学卒業後に北京オリンピックでメダルをとってから、フェンシングが本格的に仕事になっていきました。
Q:大学時代、フェンシング以外に力を入れていたことはありますか。
A: タイムマネジメントです。とくに、1、2年生の頃は、自宅と大学を往復3時間かけて行き来していたので、与えられた環境の中で、どうやって強くなれるかということを常に考えていました。なので、大学生活を通して、優先順位をつける癖がついたと思います。ただ、当時は「フェンシングの練習以上に重要なものはない」と思って過ごしていたので、大学で過ごした友人の数や時間は、皆さんよりも圧倒的に少ないと思います。甘酸っぱい思い出などもほとんどないので、大学生活を楽しそうに謳歌している人たちを見ると、めっちゃ羨ましいなと思っていました(笑)。
Q:やはり、フェンシングを軸とした大学生活を送っていらっしゃったのですね。同志社での学びが、大学卒業後の自分に影響を及ぼしたことなどはありますか。
A: 基本、学生の自主性に任せている同志社で過ごしたからこそ、「自分から動かないと何も起こらない」ということを学びました。この点は、同志社精神の一つでもあると思います。物事を始めようとするときは、自分で動いて、自分から機会を作っていかなければいけないということは、大学卒業後に社会に出た後も、同じだなと感じました。
(青木):たしかに、私も同志社に入学して、何かを「始める」ために、まずは、自分の興味のあることを「見つける」ということから始めなければならず、最初は戸惑いました・・・!
(太田氏):そうですよね。僕は、何かを「見つける」作業にこそ、色々な悩みや葛藤があると思っています。大学を卒業して就職した後であっても、「何がやりたいか」と聞かれて、パッと答えられる人は少ないです。しかし、学生のときから短期的、中期的にでもやりたいことを自分の中で見つけ、行動に移すということを繰り返しやっていけば、小さなことにでも喜びを感じることができます。苦労はすると思いますが、常に夢を追いかけることができるというのは幸せなことですよね!
Q:大学卒業後は、選手として活躍され、後に国際フェンシング連盟副会長や、日本フェンシング協会の会長として、新たな取り組みや改革も進めていらっしゃいました。組織の代表として、物事を進めるにあたり、心がけていたことはありますか。
A: 改革というものは、手段であって目的ではありません。ここを間違えてしまうと何のために行動しているのかが分からなくなってしまいます。なので、僕たちのなかで、一つ目的を決めて、何のためにやっているのかということを懇切丁寧に説明することを心がけています。そうすることで、新しい取り組みに対して抵抗を感じる方々にもご理解していただけるようになります。また、物事がどのようにして決まっていくのかという点を徹底的に調べるようにしていました。僕自身も、フェンシング協会の会長になったとき、まず初めに、定款や規約といった意思決定の過程やルールを徹底的に調べました。「大会を変えたい」「競技人口を増やしたい」というビジョンを実現するために、意思決定の過程を知るというのは、とても重要なことだと思っています。
(青木)なるほど、そのような心がけがあったからこそ、ビジョンの実現に向けて物事を進め、様々な改革を実行することができたのですね…!
Q:それでは、今後のご自身の目標と、この先のスポーツ界をどのようにしていきたいかについて、お伺いしたいです。
A: 今、時代の転換期に来ているように思います。具体的には、今まで光が当たっていなかったところに光が当たっていく可能性や、個人の発信力が力を持っていくような、そのような時代になってきています。そのようななかで、スポーツ界においては、皆がもっと運動を楽しめるようにしていきたいと考えています。健康に対する価値がどんどんと高くなってきている今、スポーツを「キツくてツライもの」として皆に認識されるのではなく、スポーツがもっとライフスタイルの一部として認識されるようにしていきたいです。
また、同志社に因んだことで言うと、幼稚園から大学まで、一気通貫するスポーツ活動があっても良いのではと思っています。例えば、同志社に通う園児から大学生までが同じ環境や施設で練習することで、スポーツの交流はもちろん、大学生が小学生や中学生に心構えを教えたり、卒業生が遊びに来てくれたりと、縦や横の関係を気にせず、全部が混ざり合うような環境を創り出せるのではないかと考えます。
Q:それでは最後に、同志社の後輩たちにアドバイスやメッセージをお願いします。
A: 大学生というアドバンテージをもっと使ってほしいなと思います。大学生というだけで、おそらく、大半の大人は会ってくれます。年齢が若ければ若いほど、チャンスがないように感じるかもしれませんが、多くの大人は、若者にチャンスを与えたいと思っています。自分を客観的に見て、「私なんか」と思わずに、どんどん色々なことにチャレンジしてほしいなと思います。若さというアドバンテージを、ぜひ、使い倒してください!
インタビューを終えて感想
■青木 菜々子さん(同志社大学法学部4年次生)
小さな頃からメディアを通じて拝見していた太田さんに直接お会いし、さまざまな質問をすることができ、とても嬉しかったとともに、インタビューを通じて多くの学びを得ることができました。
今もなお、目標や目的をビジョンで終わらせず、その実現に向かって突き進んでいらっしゃる太田さんの姿を見て、私も自分の目標を追い続ける努力ができる人間になっていきたいと強く感じました。そのためには、太田さんがおっしゃっていたように、与えられた環境の中で、いかに自分らしくその目標を実現させられるかを考えることが大切なのだと思います。残された大学での日々、そして、社会人としての新たな環境の中で、常に自分の中での目標を持ち、目標の実現ができるように努力していきたいと思いました。貴重なお時間をいただきまして、本当にありがとうございました。
■河合 優里さん(同志社政策学部2年次生)
オリンピックにおいて、日本のフェンシング選手で初のメダルを獲得するなど、大きな功績を残し、引退されてからも、日本フェンシング協会会長として、英語検定を導入するといった改革を行うなどして、スポーツ業界に大きく影響を与えた太田雄貴さんにインタビューをさせて頂きました。お会いする前からとても緊張してしまっていましたが、優しくお話を聞いてくださり、緊張しないように和やかな雰囲気を作ってくださいました。本当にありがとうございました。
太田さんへのインタビューの中で特に印象的だったのは「結果が(過去を)肯定する」「結果でしか過去を変えられない」という言葉です。私は生活の中で、過去を振り返って、自分の選択に後悔をすることがありますが、太田さんのインタビューを通して、後悔するのではなく、過去の選択を肯定できるような結果を出せるように行動しようと強く感じました。
今回、同志社大学を卒業された先輩である太田さんから学んだことを心に留めて、残りの学校生活を豊かにしていこうと思います。
【太田さんから次回の同志社人インタビューに登場してくださる方をご紹介いただけないでしょうか。】
船井電機株式会社 代表取締役会長 柴田雅久さんを紹介させていただきます。
柴田先輩は、フェンシング部の先輩の1人で文武両道を体現された1人です。
大学まで精一杯スポーツに打ち込んだ方が、社会でもしっかりと活躍できるということを証明された姿は、学生の皆さんに学びがあると思います。
社会人として大切にしていたことなど、多くのことが伺えると思います。
——— 次回は、船井電機株式会社 代表取締役会長 柴田 雅久様(1980年同志社大学工学部電子工学科卒業)にご登場いただきます!