同志社クイズ【 Level 4-4 】
同志社クイズ【 level 4-4 】
各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
Q1,
新島の遺体は七條駅(現在の京都駅)に到着し、夜中まで列車を待っていた同志社の生徒たちが新島の自宅まで運んだ。新島の葬儀は1890年1月27日、同志社チャペル前でテントを張って行われ、各界から大勢の方たちが参列した。およそ何人が参加したか?
A: 1,000人
B: 2,000人
C: 4,000人
Q2,
新島は子どもの頃、書道の手習いを受けた。青年になると父親の代理が務まるほど上達し父に代わって生徒を指導してもいる。書道に加えて彼は少年時代に武道(剣術)や馬術、絵画、礼儀作法などの手ほどきを受けた。このうち母親が彼の将来を考え熱心に勧めたものがあった。それは何?
A: 武道(剣術)
B: 馬術
C: 絵画
D: 礼儀作法
Q3,
備中松山藩は新たに購入した快風丸の試運転航海(往復)を浦賀から玉島(今は倉敷)間で行った。この時、新島も快風丸への乗船を誘われた。長期期間、江戸から遠く離れる体験は新島にとり初めてであった。さて、その期間は?
A: 1か月
B: 3か月
C: 半年
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《解答》
1,C
2,D
3,B
◆解説,1
新島の遺体は、死去した翌日の東海道線で京都(七条駅)まで運ばれた。駅に到着したのは深夜(23時20分ころ)であった。列車の到着を待ち受けていた同志社関係者は600人ほどに及んだ。そのうち生徒、学生たちが7組に分かれて交代で、恩師の遺体を担いで寺町通り丸太町上ルの新島家(現新島旧宅)まで運んだ。葬儀当日の昼、遺体は新島邸で出棺式が行なわれたあと、教職員や役員に担がれて同志社礼拝堂まで運ばれた。参列者は4,000人前後と見込まれていたので、礼拝堂の前に大テントを張り、急遽葬儀会場とした。
◆解説,2
新島の母(登美)の旧姓は中田といい、武州浦和(現在の埼玉県さいたま市)の出身である。江戸で安中藩家老に奉公している時に新島民治を紹介されて結婚し、四女二男を設ける。長男の七五三太の出世を願う「教育ママ」でもあった。日頃、新島は彼女から「高官たちには深々と頭をさげるよう特別な注意を受けていた」。そのうえ、礼儀作法を習わせたのも、上役に取り入って「父の位〔祐筆〕よりもずっと上位にあがれるように、というのが母の野心であった」からである。
◆解説,3
安中藩の兄弟藩である備中〔びっちゅう〕松山藩が購入した外国船が快風丸。同船で江戸・玉島間を往復する「玉島航海」に参加できたことで、新島は初めて解放感(自由意識)を味わうことができた。それまで、空は、ほぼ正方形の安中藩邸と同じく窮屈な「ま四角」であったが、航海中の空は水平線まで広がる「丸い空」であったことを実感できた。こうして、新島はいよいよ自由を求める気持ちを高揚させ、夢は海外雄飛へと広がっていった。