同志社クイズ【 Level 4-1 】
同志社クイズ【 level 4-1 】
各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
Q1,
新島がアンドーヴァーに住んで約1年、彼の信仰は確かなものに育った。1866年12月30日、新島は洗礼を受け晴れて公認のクリスチャンとなった。彼が洗礼を受けた教会の名前は?
A: オールド・サウス教会
B: アンドーヴァー神学校教会
Q2,
新島は10年振りに日本に帰国した。しかし、アメリカン・ボードの一員としての派遣であったので、家族の住む安中での滞在も短く切り上げ大阪に赴任した。大阪では、ある宣教師の宅に下宿した。ある宣教師とは?
A: A・H・アダムス
B: M・L・ ゴードン
Q3,
同志社英学校認可が知れ渡ると市民や仏教界の一部から、がぜん反対運動が巻き起きた。京都府庁は同志社に対して、「校内では聖書を教えないこと」などの注文をつけてきた。しかし、1880年に知事が交代して同志社のキリスト教教育はようやく認知されるようになった。新しい知事とは誰?
A: 北垣国道
B: 槙村正直
↓ 解答はこちら ↓
《解答》
1,B
2,B
3,A
◆解説,1
新島襄はアンドーヴァーの学校と家庭で初めてキリスト教に日常的に触れることができた。とりわけ、家庭教師を務めてくれた神学生のE・F・フリントと彼の妻から、聖書やキリスト教についても個人的な手ほどきを受けたことが大きかった。わずか1年で神学校内のチャペル(教会)で受洗に至った。洗礼を授けてくれた牧師は、神学校の看板教授でもあるE・A・パークと思われる。
◆解説,2
宣教師に指名され日本伝道のために日本に送り返された新島は、いわば派遣社員であったので、赴任地はミッション本部(ボストン)が決定する。帰国時には神戸が予定されていたが、横浜に帰国すると、先輩牧師から「大阪へ」と知らされる。神戸に続いて会衆派教会が大阪に出来たばかりの時であったので、新島は同教会を創立したM・L・ゴードンの借家に寄宿しながら、彼の大阪伝道を手伝った。なお、A・H・アダムスはこの年、新島、J・K・H・デフォレストと共に日本に同時に派遣されたアメリカン・ボードの医療宣教師で、3人の赴任地はいずれも大阪であった。アダムスは来日まもなく死去した。
◆解説,3
京都府知事の槇村正直は、山本覚馬の勧めもありいったんは同志社の開校を認めるが、仏教界を軸に反対運動が激化すると、姿勢を一変させ、校内での聖書の授業を禁じるなど同志社に冷たく当たり始めた。しかし、開校5年後に北垣国道が知事になると、キリスト教(教育)に対する締め付けや干渉は和らいだ。市内に教会堂を建てることもできるようになった。