同志社クイズ【 Level 3-2 】

同志社クイズ【 Level 3-2 】

各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。


Q1,
 山本覚馬の妹の八重がある日、ゴードン家を訪れた時、たまたま新島襄が居合わせた。ゴードン夫人から新島を紹介され、やがて2人は1876年1月3日、結婚をすることになった。結婚式の会場は?


A: 京都ホテル
B: デイヴィスの自宅


Q2,
 新島の遺言の中の「倜儻不羈なる書生を圧束せす」は、今なお同志社に脈々と引き継がれている。信念と独立心に富む有能な学生を圧迫しないで、個性を認めて伸び伸びと社会に貢献できる大人物に育てるようにと最後の言葉を残した。新島の臨終の場で誰が遺言を書きとったのか。


A: 小﨑弘道  
B: 徳富蘇峰


Q3,
 新島は漢学、蘭学、そして英学へと勉強をしてきたが、彼に英書を教えたアメリカ滞在経験のある人物がいた。その人物の名は?


A: 中浜万次郎(ジョン万次郎) 
B: 勝海舟







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《解答》
1,B
2,B
3,A





◆解説,1
 新島の結婚相手はクリスチャンに限定されていたが、当時の京都には女性信徒はゼロであった。山本覚馬のすすめでキリスト教に接触した八重が、受洗第一号であった。新島はその翌日、晴れて結婚式を挙式した。洗礼式、結婚式ともデイヴィスが自宅(借家)で司式した。場所は、京都御苑内にあった公家の柳原光前(やなぎわらさきみつ)の邸で、現在は和風迎賓館の敷地に組み込まれている。なお、京都ホテルの開業は遅くて、1895年のことである。


◆解説,2
 新島は亡くなる二日前、八重、小﨑弘道、徳富蘇峰を臨終の床に呼び集め、2時間にわたって遺言を述べ、徳富蘇峰に口述筆記させた。遺言は遺産相続などの私的な項目をいっさい含まず、ひたすら同志社に関わる内容に終始している。なかでも生徒の指導や対応に関して教職員に注意を喚起する条項がいくつも入っているのが、目につく。「倜儻不羈云々」の条はその好例であるが、ほかにも「社員〔同志社スタッフ〕たるものハ、生徒ヲ鄭重(ていちょう)ニ取扱ふ可き事」も目につく。新島以上に生徒を鄭重に扱った教員はいなかった。彼は「人一人は大切なり」の信条を文字通り実践してみせた。


◆解説,3
 中浜万次郎は土佐出身の漁民。漂流中にアメリカ船に救助されてアメリカに渡り、長期にわたって留学ができた稀有の経歴を持つ。帰国後は、語学を活かして幕府に幕臣として取り立てられ、重宝がられた。神田在住の折、新島もしばしば彼を訪ねては教えを請うた。新島の渡米先が万次郎の留学先であったフェアヘブンと同じマサチューセッツ州にあるボストンとなったのは、なんとも奇遇である。なお、新島は勝海舟とも数回、面談を重ねているが、すべて帰国後のことである。