同志社クイズ【 Level 2-4 】
同志社クイズ【 level 2-4 】
各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
Q1,
新島は多くの学生や教員の前で謝りながら、「責任は私にある」と自分の手を杖で激しく殴打した。いわゆる「自責の杖」事件である。その発端は、学校側が2年生の上・下クラスの合併を認めたことであった。不満な生徒たちは、どのような行動をとったのか?
A: ストライキを起こした
B: 全員、退学した
Q2,
新島を受け入れたヒドゥン家にはアンド-ヴァー神学校の若い神学生夫妻が住んでいた。この夫妻が毎晩のように新島に教科や聖書を教えてくれた。この神学生の名前は?
A: E・フリント
B: E・C・ブリッジマン
Q3,
新島はヨーロッパ視察旅行中、田中文部理事官から一緒に帰国して日本の新しい教育制度の確立に共に働かないかと勧められた。しかし、新島はその誘いを断った。何故?
A: アンドーヴァー神学校に戻りたかった。
B: 体力に自信がなかった。
↓ 解答はこちら ↓
《 解答 》
1, A
2, A
3, A
◆解説,1
世にいう「自責の杖事件」である。同志社初の学園紛争に伴って起きた事件で、新島襄の教育姿勢を象徴的に示す出来事となった。当局によるクラス統合に反対する2年上級組の学生は、抗議文を提出し、ストライキ(無断授業放棄)に打って出た。これにより、彼らは禁足処分(家庭謹慎)を受けた。ストライキが解けた後、紛争の責任問題が問われたために校長の新島は、全校集会の席上、「校長を罰します」と宣告して、自ら杖で掌を強打して責任を負おうとした。
◆解説,2
当時、アンドーヴァーには男子校(フィリップス・アカデミー)のほかに女学校(アボット・アカデミー)と神学校(大学院のアンドーヴァー神学校)が隣接していた。同じセクト(会衆派)に属する同系列の学校であったので、ひとつのキャンパスに三つの学校が存在したと理解すべきであろう。E・フリントはヒドゥン家に下宿して、近くの神学校に通う大学院生で夫人共々、新島の家庭教師を務めてくれた。
なお、E・C・ブリッジマンはアンドーヴァー神学校出身のアメリカン・ボード宣教師で、中国に派遣された。彼が上海において中国語で著したアメリカの紹介書、『連邦志略』(1862年)は、江戸に住む新島の知的好奇心をおおいに刺激し、渡米の夢を掻き立てた。
◆解説,3
新島は岩倉使節団の一員となって田中不二麿に同行して欧米を巡視した。ベルリンでひとまず任務を終えた田中は、新島を文部省に入省させるために一緒に帰国することを勧めた。多少の躊躇いはあったものの、新島は最終的にそれを拒否した。1年休学していた神学校に復学し、牧師になる資格を得るために卒業したいと望んだからである。翌年、新島は神学校の学業を修了してから牧師資格試験に合格し、晴れて牧師となった。同校が生んだ176人目の牧師である。一方の田中は新島の事が諦め切れずに、帰国後の新島に対しても再度、入省を熱烈に勧めている。