同志社クイズ【 Level 2-2 】
同志社クイズ【 level 2-2 】
各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
Q1,
同志社英学校は1876年9月18日、ラットランドで得た寄付金の一部を使い山本覚馬から買った土地に移転する。この土地はかつての武家屋敷であり、現在の同志社大学今出川キャンパスの一部である。どこの藩の屋敷だったか?
A: 旧彦根藩邸
B: 旧薩摩藩邸
Q2,
1888年11月7日、「同志社大学設立の旨意」が日本全国の主要な新聞、雑誌に発表された。その旨意を執筆したのは誰?
A: 徳富蘇峰
B: 新島自身
Q3,
下級武士であった新島の父、民治(たみじ)は、勤務時間外に自宅で書道塾を開いていた。藩内の彼の職務とは?
A: 勘定方
B: 祐筆(ゆうひつ)
↓ 解答はこちら ↓
《 解答 》
1, B
2, A
3, B
◆解説,1
同志社発祥の地は寺町通り丸太町上ル(今の新島旧邸の所)である。開校半年後に御苑北に移転する。開校前に入手していた旧薩摩藩邸跡に新校舎が竣工したからである。その後、同志社は周辺の旧公家屋敷などの敷地購入に努めた結果、現在の今出川キャンパスまで拡張した。
なお、旧彦根藩邸(寺町鞍馬口下ル)は、新島の晩年、同志社大学設立運動の途次、大学予定地として購入したが、その後、財政難のため手放さざるをえなかった。
◆解説,2
新島は10年間の海外生活中、日本語を使う機会がなかったこともあり、文章力に確たる自信を持てなかった。そのため、公的に発表する文章については、第三者に執筆、推敲や修正を要請することが多かった。さしずめ全国の有力紙などに発表された「同志社大学設立の旨意」はその代表で、第一の門弟とも言うべき世に時めくジャーナリストの徳富蘇峰に代筆を依頼した。彼は恩師の期待に応えて、あらかじめ新島から提出された「マテリアル」(材料)を自由に駆使して、新島の言わんとする所を見事な名文に仕立てあげた。新島自身の名前で発表されてはいるが、新島の草稿はない。
◆解説,3
職業世襲が原則であった時代ゆえに、新島も父親の後を継いで祐筆(文書・記録係)となることが運命づけられていた。そのため彼は5歳から習字の手ほどきを受けた。しかし、そうした封建時代のしきたりは、他の封建社会特有の種々の束縛と共に、彼を海外へ追いやる遠因となった。
なお、勘定方は幕府や諸藩で会計を担当する係。