同志社クイズ【 Level 2-1 】
同志社クイズ【 level 2-1 】
各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
Q1,
新島が生まれ、その4年後に弟も誕生した。彼の能力は兄の新島以上と言われ、新島はこの弟を大変可愛がり、その将来に期待をかけていた。弟の名前は?
A: 双七
B: 双六
Q2,
新島の下宿先として、ハーディーは、ヒドゥンという女性の家を紹介した。彼女は最初、言葉の不自由なアジア人など家におくことは全く考えたこともなく断るつもりであった。しかし結局、受け入れた理由は?
A: ハーディーが熱心に頼んだから
B: 新島が書いた “ Why I departed from Japan ” に感動したから
Q3,
幸いなことに新島は日本政府から留学許可証とパスポートを入手することができた。これは、後に初代文部大臣となった高官からの強い提案によるものでした。それは誰?
A: 寺島 宗則
B: 森 有礼(ありのり)
↓ 解答はこちら ↓
《 解答 》
1, B
2, B
3, B
◆解説,1
七五三太と双六の兄弟愛は緊密で、兄は弟を可愛がった。双六は、東大の前身(昌平坂学問所)に学び、将来を嘱望されていたが、新島がアメリカ留学から帰国する3年前に23歳2か月で病死し、新島を悲しませた。新島が10年間の海外生活を終えて帰国した際、新島を可愛がってくれた祖父も、弟同様に亡くなっていた。
◆解説,2
ハーディーは学校(フィリップス・アカデミー)近くに住む熱心な信徒であるM・E・ヒドゥンに新島のエッセイ「なぜ私は日本を脱出したか」を手渡して、新島をホームステイさせてもらえないかと依頼に及んだ。新島の作文を読んで心を打たれた彼女は、さっそく翌日、引受けるとの返事をハーディーに伝えた。
◆解説,3
1872年にワシントンDCにやってきた岩倉具視(ともみ)を正使とする岩倉使節団の受け皿として、少弁務使(駐米公使)の森有礼は日本人留学生たち(特に国費での)を招集し、使節団を手助けさせた。その際、もっとも必要とした人物が新島であった。彼は森よりも5歳上の私費留学生であった。そこで森は、新島の密出国の犯罪を許す見返りに新島に協力を要請した。後に森は新島に文部省入りを勧め、アメリカの学校制度や教育行政を日本に移植する役割を果たすことを期待した。森は初代伊藤内閣で文部大臣(第一号)となった。
なお、寺島宗則は、当時イギリスにあって日本公使を務めていたので、新島との接触は見られない。交流が生まれるのは、新島の帰国後のことで、外務卿(きょう)の寺島に徴兵令の件で陳情している。