同志社クイズ【 Level 2-3 】

同志社クイズ【 level 2-3 】

各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。


Q1,
 新島はフィリップス・アカデミーを修了し、アーモスト大学へ入学した。1821年に設立されたこの大学は、牧師や宣教師を目指す学生のための大学として知られ、独特の教育を提供していた。独特の教育とは?


A: 宣教師教育  
B: リベラル・アーツ教育


Q2,
 アーモスト大学入学以来、新島が公私にわたり世話になった同大学教授がいた。いわば、新島のホストファミリーで、後に学長になったこの教授の名は?


A: シーリー教授  
B: クラーク教授


Q3,
 新島は岩倉使節団に加わり、文部理事官の秘書として、ヨーロッパ教育視察にも随行した。理事官とは誰?


A: 木戸 孝允(たかよし)  
B: 田中 不二麿(ふじまろ)







↓ 解答はこちら ↓




《 解答 》
1, B
2, A
3, B




◆解説,1
 新島は3年制のフィリップス・アカデミーに1年8か月しか在学していないので、学力的にも卒業は無理と考えられる。しかし、アーモスト大学に進学しているので、アカデミーは修了扱いであろうか。アーモストは「牧師の養成所」との異名を取るほど宗教色が濃厚で、かつてはアメリカン・ボードの宣教師を最も多く輩出した大学として知られていた。教派はフィリップス・アカデミーと同じく会衆派である。両校はいずれも全米で有数のリベラル・アーツ教育の名門校である。ハーディーはアーモスト大学の理事もしていたので、新島の入学には彼の働きが大きかったと考えられる。ちなみに、リベラル・アーツ教育は、幅広い教養教育を通して、円満な人格形成(人間教育)を目指す。職業・専門教育を行なう大学院を附設する総合大学(ユニバーシティ)と違って、学部がひとつの単科大学(カレッジ)で、全寮制を基本とする。


◆解説,2
 J・H・シーリー教授は、アーモスト大学の看板教授であり、人格の高潔さと人望は突出していた。新島の世話で入学した内村鑑三は、アメリカ人嫌いとなって帰国したが、「シーリー先生だけは別」と告白している。ハーディーが新島の入学を特にシーリーに依頼していた関係から、新島が最初にひとりでアーモスト入りをした時、駅で出迎えたのがシーリーであった。寮生活をした新島は、長期休暇の閉寮時にはシーリー教授宅に引き取られることがあった。新島が同志社を開校させた後のことであるが、学長になったシーリーは、新島に名誉博士号を授与した。ちなみにW・S・クラークは、アーモスト農科大学(現在のマサチューセッツ州立大学)学長のおりに日本政府から招かれて札幌農学校の教頭に就任した教育者。


◆解説,3
 岩倉使節団の要人中、新島にもっとも篤い信頼を寄せたのは副使の木戸孝允であった。しかし、時間的に最も長く新島が接触した要人は、田中不二麿(文部理事官)である。アメリカばかりか、ヨーロッパの視察にも新島は同行した。新島の2歳下の田中もまた、森と同様に新島を高く買い、文部省に入るように説得した。しかし、結果は「否」であった。