同志社クイズ【 Level 1-1 】

 多くの方に同志社や創立者新島襄について関心をもっていただきたいとの願いを込めて、今回から同志社クイズを23回にわたりお届けします。Level1から5まで徐々に問題が難しくなるようにしています。原則、毎週月曜日(祝日の場合は翌日)にクイズを掲載しますので、ぜひ、最後までおつきあいをいただければ幸いです。

 なお、問題と解答は1958年同志社大学商学部卒業の北出至氏に、解説は、元同志社大学神学部教授の本井康博氏に作成をいただきました。



学校法人同志社 創立150周年記念事業事務室

同志社クイズ【 Level 1-1 】

 各質問の正しい答えを選択枠の中から選んでください。
 Please choose the correct answer for each question below.


Q1,
 新島は1843年2月12日(新暦)、江戸にある安中藩(あんなかはん)内の武家長屋で生まれた。女の子が4人続いた後の待望の男子であった。
 家族の一人が喜びのあまり「しめた!」と叫んだ。これが新島の幼名 七五三(しめ)太(た)の由来と言われている。家族のひとりとは誰?


 A: 祖父・弁治  
 B: 父・民治(たみじ)


Question1,
 Neesima was born on February 12, 1843 (new calendar) at the Samurai Nagaya (武家(buke)長屋(nagaya)apartment)in the Annaka Domain's residence in Edo. He was the long-awaited boy, after four older sisters.
 A member of the family shouted with joy "Shimeta!" (七五三(shimeta)) Hooray!
This was said to be the origin of Neesima's childhood name: Shimeta. Who shouted the word, Shimeta?
 

 A: Grand father(祖父・弁治)
 B: Father(父・民治)


Q2,
 憧れのアメリカに着いたものの、直ぐに上陸は出来ない。身元引受人が必要で、結果的に新島は三か月、舟番をしながらボストン港で水上生活を余儀なくされた。幸い、テイラー船長の尽力でワイルド・ローヴァー号のオーナーが身元引受人になってくれた。オーナーの名前は?


 A: A・ハーディー  
 B: A・オナシス


Question 2,
 Although Neesima had finally arrived in the United States as he had longed for, he couldn't land immediately. Entering the country required a sponsor. As a result, Neesima was forced to live on the ship in the water of Boston Harbor for three months. Fortunately, with the help of Captain Tayler, the owner of the Wild Rover agreed to become Neesima’s sponsor. What was his name?


 A: A. Hardy
 B: A. Onassis


Q3,
 ラットランドで行った新島の募金を訴えるスピーチに感動したある貧しい農夫が、帰りの汽車賃を含む所持金すべてを差し出し、逆に新島を感動させた。さて、その金額は?


 A: 2ドル  
 B: 10ドル


Question 3,
 A poor farmer, impressed by Neesma’s speech appealing for fundraising in Rutland, donated all his money including his return train fare. How much was that?


 A: 2 dollars  
 B: 10 dollars







↓ 解答はこちら ↓




《解答》
1, A
2, A
3, A



◆解説,1
 「七五三(しめ)太(た)」の名前の由来として、新島襄は祖父・弁治の「しめた!」発言と並べて、「七五三(しめ)縄」を外す日に生まれた説をも紹介している。
七五三太は祖父の膝上で育った点で、父親・民(たみ)治(じ)よりも、あきらかに「おじいちゃん子」であった。後に成人(元服)を迎えた時、「敬幹」(読み方不明)という諱(いみな)がつけられたものの、以後しばらくの間、新島は幼名の七五三太を愛用、もしくは併用した。



◆解説,2
 ハーディーはワイルド・ローヴァー号を所有するハーディー商会の支配人で、ボストン有数のクリスチャン実業家であった。ハーディー家には、すでに男の子が4人いたほかに、恩人ともいうべき商人の遺児(男児)ひとりの面倒も見ていた。さらに以前に中国人青年を引き取って失敗していることからも、いまひとりのアジア人青年を引き取る理由は薄かった。ハーディーの息子が著した新島伝には、「ハーディー夫妻は若干の躊躇がなかったわけではない」と明言されている。にもかかわらず、夫妻は新島を準家族のように家庭に引き取ってくれた。以後、9年間にわたって「アメリカの親」を務めてくれた。なお、A・オナシスはギリシャの実業家で、海運王の異名をとった。J・F・ケネディーの未亡人(ジャックリーン)と結婚したことでも有名。



◆解説,3
 声涙ともに下る新島の献金アピールに感動した会衆からは千ドル(ふたり)を始め多くの献金が寄せられた。そのうち、新島の心をもっとも打ったのは、それぞれ2ドルを捧げてくれたふたりの高齢者であった。ひとりは農夫、ひとりは老女性で、いずれも集会後に新島にこっそりと手渡された。