ラットランド・アピールツアー 報告レポートと参加者の感想
新島のラットランド・アピールから150周年にあたる2024年10月13日(日)に、グレイス教会において執り行われました記念礼拝の報告レポートと参加者の感想です。
下記それぞれのお名前をクリックしていただくと、その方のところに飛びます。
・コーディネーター森田 喜基先生
・小栗 成男氏
・山田 美代子氏
・山本 光世氏
コーディネーター森田 喜基先生
学校法人同志社創立150周年記念
新島襄のラットランド・アピール150周年記念ツアー
10月10日(木)~15日(火)に「新島襄のラットランド・アピール150周年記念ツアー」が開催された。これは学校法人同志社創立150周年記念事業の一環として企画されたものである。
1874年10月9日、アメリカ合衆国ヴァーモント州ラットランドのグレイス教会(現在の正式名称Grace Congregational Church, United Church of Christ)でアメリカン・ボード(会衆派の海外伝道会社)の年次大会が開かれた。脱国から10年目の新島は、宣教師として帰国する直前、その大会において多くの人々を前に、日本にキリスト教主義学校(牧師養成校)を設立するという志を熱く語り、約5,000ドルの寄付の約束を得て、それが同志社の礎となったのであった。その所謂「ラットランド・アピール」を記念し、礼拝をグレイス教会と同志社で協同してささげることがこのツアーの主たる目的であった。同志社からは教職員、卒業生など合わせて27名が参加した。
一行はまずボストンに於いて、新島の「アメリカの父母」であるハーディー夫妻ゆかりのオールド・サウス教会や会衆派図書館を巡り、二日目には新島の学んだフィリップス・アカデミー、その敷地内にある旧アンドーヴァー神学校校舎などを訪れた。
150年前に新島がアピールをしたグレイス教会における記念礼拝は、10月13日(日)に開催された。同志社小学校3年生の山本光さん他による英語「同志社大学設立の旨意(抜粋)」の朗読、八田英二総長・理事長、小原克博大学長、そしてグレイス教会のテリー・ヘンリー牧師によるメッセージによって、150年前の新島の志と神への信仰に触れた。また、小原克博大学長から「グレイス教会での演説想像図」の陶板の贈呈がなされた。その他、グレイス教会聖歌隊の歌声、パイプオルガン、ハンドベル、バグパイプ、同志社国際高校卒で現在バークリー音楽大学生の山根基嗣さんによるバイオリンと、多様な楽器・息吹による素晴らしい賛美によって、参加者一人ひとりの心に残る礼拝となった。
礼拝後はグレイス教会の方々が盛大なレセプションを催され、参加者はそれぞれ良き交流の時を得た。記念礼拝及びレセプションにはアメリカン・ボード、アンドーヴァー神学校、それぞれの後継団体であるアメリカ合同教会海外宣教局、イェール大学アンドーヴァー・ニュートン神学校からの代表者、また同志社英学校設立時に新島と共に最初の教師となったデービス宣教師のひ孫であるエレノア・ラネイさんが来賓として出席された。レセプション後、バスに揺られること約2時間半、一行はアーモスト大学に到着、新島襄の肖像画が飾られているジョンソン・チャペルを訪ね、その後アーモスト大学のエリオット学長主催による夕食会が催された、モース先生(アーモスト大学の同志社側窓口)他7人の出席があった。同志社からはツアー参加者に加えて、アーモスト大学派遣留学生の2名の学生も参加し、アーモスト大学の皆さんとの交流の時間を楽しんだ。ツアー参加者からは「この素晴らしい経験を、自分の言葉で語り続け、分かち合いたい。ブドウの枝のように多くの人々に共有したい」、「同志社創立100周年にも同志社から代表団がグレイス教会を訪れたが、次は創立200年に向けて、このことを同志社として記憶してほしい」とのコメント等が寄せられている。新島の「軌跡」を辿り、この節目に同志社設立の原点である出来事を記念し、改めて創立者がどのような志、信仰を持って同志社設立を目指したのかに思いを馳せ、そこから現在を振り返り、また未来的意味について深く考えさせられる時であった。
記念礼拝の様子は、法人150周年記念事業のHPから動画視聴が可能となっている。ぜひご覧いただきたい。
小栗 成男氏(1987年同志社大学商学部卒業)
5年前、校友会愛知支部長となり全国の校友会理事会で『150年を記念し新島襄の映画をつくりませんか?』と提案した。私は既に『映画ラストサムライ』の関係者のシナリオライターに内諾も得ていた。想定内で資金どうする?大学との関係は?との質問もあり皆さん迷道し、結果頓挫している。一方、今回アニメを制作すると聞き時流でもあり心洗され真っ先に寄付をした。今回のツアーでは新島が演説した正にその場所で模倣ができ感涙。またツアーの皆さんはマナーも素晴らしく充実した時を過ごすことができました。新島の死後、国粋主義によって翻弄されたキリスト教思想。襄の座ったであろう?机に着座し、その教室の教壇で小原学長が演説された瞬間は圧感であった。また、グレイス教会での八田総長の英語スピーチも素晴らしく『同志社人』として誇りに思え、今後も同志社ブランド向上のため尽力したいと肌感した。山本さんのお嬢様の同志社大学設立の旨意のスピーチも見事。よくあれだけの英語の記憶を!ご両親もさぞかしご心配されていたでしょうが見事大役を果たされましたね‼️
話は変わりますが、今回次女が同行してくれました。クロノグラファー兼プロのダンサー・指導者として活躍中。大学はその道へ進み同志社ではなかったが、私が幼少の頃から新島襄の話をしていた甲斐があってか感慨深いものを感じてくれた。身近な新島襄・同志社ファンがまた増えたと喜んでいる。次女にとっても比類なきツアーに参加させていただけたこと感謝申し上げます。同行してくださった皆様、森田先生、平野事務長にも重ねて感謝お礼申し上げます。同志社がますます冒険に挑戦、躍動するよう祈念し結びとさせていただきます。
山田 美代子氏(1992年同志社女子大学短期大学部日本語日本文学科卒業)
「学校法人同志社創立150周年記念事業〜新島襄のラットランド・アピール150周年記念ツアーのご案内」それを手にした時、しばらく茫然としました。あのグレイス教会に行けるチャンスは二度と訪れないかもしれない…そう思い、このボストン行きを決めました。グレイス教会と言えば、同志社人なら誰もが知るあの演説が行われた場所…私達を乗せたバスは、マサチューセッツ州のボストンから美しい紅葉を縫うようにヴァーモント州の山あいの道を進み、凛とした佇まいのグレイス教会に到着しました。
この演台は32歳の新島襄が満員の聴衆を前に祖国に学校を作りたいと熱い志を語った場所。その情景を想像すると、高揚した空気感が身を包みゾクゾクしました。演説から150年後同じ場所に立つ私は、時間軸では当時の彼より人生経験を積んでいるはずだが、自分以外の誰かの為に何か大きなことを成し遂げたことはあっただろうか―――そう考えたとき、これからの人生は人のために生きようと強く思いました。小さなことから始める大切さ、祈ることの尊さを実感した旅でもありました。神さま、新島襄先生、私をこの教会にお導きくださりありがとうございました。そしてこの旅行の企画・運営に携わってくださいました全ての皆さま、快く送り出してくれた家族に感謝いたします。
2024年10月19日 山田美代子
山本 光世氏(1997年同志社大学神学部卒業)
同志社とJOHNAN株式会社のルーツ
新島襄先生が通われたオールド・サウス教会。その礼拝堂の入口で、私の目に飛び込んできた樹形図。その樹形図には、1669年に設立されたオールド・サウス教会が母体となり、様々な組織の設立が記され、YMCA(USA)が1851年に、同志社が1875年に設立されたことも記されていました。私はその樹形図に触発を受け、私が経営に携わるJOHNAN(ジョウナン)株式会社における精神的なルーツとの繋がりを深堀りしたくなり、帰国後早々に、社内書庫にて、勤務後の深夜や週末を用いて調査を始めたのでした。
JOHNANの創業者山本松雄は、1962年に京都府宇治市の自宅にて、松下電子工業の孫請けとして電子部品の組立をもって創業しました。彼は経営における幾多の艱難に際して、教会に通い聖書を愛読したキリスト者であり企業家でした。彼は1960年代前半に家族に連れられて自宅近くにあった宇治福音教会の平田きぬ牧師に出会い、1964年に47歳で洗礼を受けました。そして、日本基督教団の霊南坂教会から宇治教会へ赴任された高塚勝牧師に1972年頃に出会い、彼は宇治教会にて更に豊かに信仰を育みました。なお、霊南坂教会は、新島先生と出会い同志社の第一期卒業生の小崎弘道氏(東京YMCA初代会長)などによって、1879年に創立された会衆派の教会です。第二代牧師の小崎道雄氏の任期中にあっては、高塚勝氏は当時伝道師・副牧師であり、後に第四代の主任牧師として霊南坂教会におられました。
ユニテリアニズムの誘惑を退け、三位一体の信仰にたつ会衆主義を堅持したオールド・サウス教会。そこに通った新島襄先生が小崎弘道氏と出会う。霊南坂教会での牧会を経た高塚勝氏が1972年に宇治教会に牧師就任し、JOHNAN山本松雄と出会う。悠久の時の流れを感じつつ、私は同志社の受胎とも言える150年前のラットランド・アピールが行われたグレース教会に、我が家族と訪ねた幸いを噛みしめ、同志社人として時間の最前線に立っています。