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熊本バンド結盟150周年記念 特別講演会 報告レポート

日時:2026年3月20日(金・祝)14:00~16:40
場所:日本基督教団 熊本草葉町教会

講師
熊本大学名誉教授、熊本草葉町教会会員 岩井 善太氏
梅花学園学園長、同志社女子大学前学長 小﨑 眞 氏

熊本バンドについて

 日本のキリスト教プロテスタント教会の歴史には、内村鑑三を中心とした札幌バンド、上村正久を中心とした横浜バンドと熊本バンドの三源流があります。熊本バンドとは、同志社の宣教師が、熊本から来た青年たちを熊本のグループという意味で呼び始めたことから用いられるようになりました。この青年たちは1871年(明治4年)に設立された熊本洋学校で、アメリカ退役軍人ジェーンズ教師の感化によってキリスト教を受け入れた者たちです。彼らはその思いを「奉教趣意書」という文章にまとめ、これに署名した35人と後に仲間に加わった者で、その大部分の青年が創立直後の同志社に転校卒業し、同志社のみならず、日本の近代市民社会形成の上で大きな貢献をしました。「奉教趣意書」は1876年(明治9年)1月30日、花岡山で行われた祈祷会で朗読して署名されました。花岡山にある「奉教之碑」は同志社創立90年記念に寄贈され、1965年に設立されました。

熊本バンド実行委員長・熊本草葉町教会牧師 森嶋道氏の挨拶

 この度は熊本バンドの一人、小崎弘道の末裔である小﨑眞先生と本教会の会員である岩井善太先生を招くことができ、歴史的な行事にふさわしい内容になったと思います。会場の日本基督教団熊本草葉町教会は歴代牧師に4名の熊本バンド出身者がいるため、自らを熊本バンド記念教会としています。熊本から京都に向かい、再び、熊本に戻ってくるまで複雑な思いを抱えながら、この地で教会を生み出した彼らの働きに感謝しつつ、記念講演会をここ草葉町教会で行えることをうれしく思います。
最後になりますが、講演会開催にご協力をいただいたルーテル学院中学校・高等学校、九州学院中学校・高等学校、熊本大学YMCA花陵会、熊本のキリスト教教会、同志社大学校友会熊本支部、熊本YMCAの皆様に深く御礼を申し上げます。

(森嶋 道氏の挨拶)

熊本大学名誉教授、元熊本県立技術短期大学校校長、熊本草葉町教会会員 岩井 善太氏による講演

演題 熊本バンドと熊本洋学校―ジェーンズの貢献―


 明治9年1月30日、熊本洋学校においてウェストポイント陸軍士官学校卒業の教師L.L.ジェーンズが開いた聖書研究会を通じてキリスト教を知った洋学校生徒30数名が、花岡山山頂にて天拝会(祈祷会)を開きました。その後キリスト教を信じることを決意表明し。「奉教趣意書」(三期生坂井禎甫(17歳)、四期生古荘三郎(15歳)起草)に署名しました。いわゆる花岡山の結盟と呼ばれるものです。奉教趣意書の内容は、同時期の横浜バンド、札幌バンドと比べれば稚拙ですが、若者の勇気、純真さ、迫力には時代を超えて胸を打つものがあり、現在も1月30日の熊本バンド花岡山早天祈祷会に受け継がれています。この行動は、当時、洋学校内の正義派と呼ばれた反対派の生徒、ジェーンズ以外の教師、家族に対抗して,同志の結束を固めるための結盟であり、35名が署名しましたが、家族の迫害、教師の説得等で、結局22名のみがジェーンズから受洗しました。洋学校がこの事件で廃校となったため、ジェーンズからデービスに依頼して、洋学校生徒たちは創立間もない同志社英学校に転学しました。優秀な学生たちは、その後同志社で宣教師たちから熊本バンド(グループ)と呼ばれ、揺籃期の同志社に貢献しました。ちなみに、熊本バンド出身者の中から5人の同志社の社長(総長)を輩出しています。(第2代 小﨑弘道、第3代 横井時雄、第6代 下村孝太郎、第7代 原田助、第8代 海老名弾正)
熊本バンドを輩出した熊本洋学校(明治4年9月―明治9年7月)は、当時熊本藩政を掌握した横井小楠門下生の実学党と呼ばれた人たちが、作った学校です。創立理念は、横井小楠がジェーンズを招聘した甥横井大平に贈った詩「明堯舜孔子之道、尽西洋器械之術」といわれています。しかし、責任者の竹崎茶堂は、ジェーンズに洋学校の教育全般を委任しました。ジェーンズは、徳育を重視した全寮制を導入し、授業は英語によりすべて一人で行い、不足分は、自学自習(上級生指導)としました。
生徒たちのジェーンズへの尊敬の念は厚く、古武士の風格と他者への愛(不破唯次郎)、実践躬行(亀山昇)、と言われたように、生徒たちの信頼は絶大でした。ジェーンズの熱誠、敬虔、雄弁といったものが熊本バンドの人たちへ大きく影響したことは間違いのないところです。横井小楠は、洋学校生徒が最も信奉した人物ですが、海老名弾正は「ジェーンズは米国の小楠である」とまで言っています。
洋学校の在籍者は凡そ220名でしたが、在籍した学生は熊本バンド以外にも各方面で日本の近代化に貢献しました。特にジェーンズが技術者を勧めたこともあり、多くの生徒が工部大学校(後の東大工学部)に進学しました。その一人中原淳蔵は、筆者も世話になった熊本大学工学部創始者です。また、ジェーンズは、熊本県にも産業振興をはじめ大きな貢献をしています。
 熊本バンドと熊本バンドを輩出した熊本洋学校、教師ジェーンズについて述べましたが、今後とも、熊本バンド早天祈祷会の継続、花岡山記念地の維持、熊本バンド記念教会である熊本草葉町教会の発展など、同志社の一つの源流ともいえる熊本の地を覚えておいていただきたいと思います。

(写真右:岩井 善太氏)

梅花学園学園長、同志社女子大学前学長 小﨑 眞 氏による講演

演題:「「組合教会」「スピリチュアル・ユニヨン(ユニオン)」「信仰『協働態』」~小崎弘道と新島襄のキリスト教(教会・聖書・神学)理解を巡り~」

 小崎先生は、教会観、聖書理解、キリスト教観などをもとにして、小崎弘道と新島襄の思想や考え方について説明をされました。具体的な事例を交えながら小崎と新島の考えを比較する形で、専門的な内容をわかりやすく話しをされました。
 講演の中から3点について、簡単に内容を記します。
・日本基督教一致教会(長老主義)と日本組合教会(会衆主義)の合同問題について
 明治以降、日本における福音主義的キリスト教の定着に伴い、日本基督教一致教会(長老主義)と日本組合教会(会衆主義)の合同への熱意が高まりました。小崎は諸教派の組織の結成に対して、派閥的と理解して日本教化のため大同団結を求めました。
一方、新島は教会合同推進派(小崎)が少数の反対派を切り捨てることを是とする論理に賛同せず、「傷メル葦」や「煙レル麻」への視座を尊重しました。
・聖書理解をめぐり
 小崎は「聖書無謬説」へと陥るのではなく、「公平に聖書を研究し基督教の歴史を研究し同時に吾人の信仰意識の理解を為すの結果此所に至る」との「進歩的福音主義」の姿勢に徹しました。信仰と理性の結びつき(同化)に関心を払いつつ、厳格なキリスト教倫理に基づき、刻苦勉励に「宗教的」人間を求めました。
 一方、新島は「創造者」との言葉に心を動かされ、「私たちが生きているこの世界は、神の見えざる御手によって創造されたのであって、単なる偶然の産物ではないことを私は知った」と述べています。武家中心主義においては国利、国家の都合が最優先される社会であり、それに対して新島は天父の存在を知り、上下関係からの解放を求め、真正の自由を求めました。自らを、自己を超えた座標軸の中に置くことで、神(人間を超えたもの)への秩序に重きを置き、根源的な物の見方、生き方の転回を求めました(異化)。人間を超越する視座を通し、人間中心主義から解放された自由に基づき、「人一人は大切なり」との人物教育を実践しました。
・キリスト教観をめぐり
 熊本バンドは同志社入学以前から、すなわち自由主義的キリスト教の各派が来る前から、「新神学者」であったと言われます。ラディカルな聖書理解と聖礼典理解がバンドにありました。小﨑は「輪郭打破」を唱え、「大都会は立派な教会堂をもたねばならぬ。日本の教会堂は貧弱で、芸術性にとぼしい。この輪廊を打破しなければならない」として、キリスト教の自己拡大を図りました。
 一方、新島は「倜儻不羈(てきとうふき)なる書生を圧束せず」と遺言の中で語ったとされています。「倜」は優れていて、拘束されないこと。「儻」は志が抜きんでていること。「羈」は手綱の意味なので、「不羈」でこれも拘束されないことを意味します。粗削りでも才気にあふれ、志をもって大きな目的に向かって行動する「龍蛇」のような人物養成を願いました。その姿勢は、既存の社会や自分自身の価値観からの解放を意図しました。この姿勢は小崎の輪郭打破とは似て非なるものと思われます。

 小崎と新島のキリスト教理解を概観すると、今日の日本のキリスト教理解に通底する課題を確認できます。熊本バンドと同志社の考察を一層深めることが、日本のキリスト教理解の発展に貢献すると確信しています。

(小﨑 眞氏)

以上