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2025年度安中市・学校法人同志社連携協定事業 安中・同志社 新島講演会

 2025年7月12日、新島学園中学校・高等学校礼拝堂で、同志社創立150周年と安中市合併20周年を記念して「安中・同志社 新島講演会」を開催し、約200名の出席がありました。
 講演に先立ち新島学園聖歌隊の皆様によるミニコンサートが行われ、礼拝堂にハンドベルの音と女子生徒の清らかな歌声が響き渡りました。続いて、安中市内の小中学生に郷土の偉人である新島襄と同志社をより一層知ってもらうため、学校法人新島学園と同志社で「同志社・新島かるた」の贈呈を行いました。八田英二同志社総長・理事長から岩井均 安中市長へ目録とかるたが、湯浅康毅 新島学園理事長から岩﨑聡 安中市教育委員会教育長へパネルが手渡されました。
 その後、主催者を代表して、八田同志社総長・理事長から挨拶があり、その中で「新島は「一年の計(けい)には穀を植え、十年の計には木を植え、百年の計にはすべからく人を植えよ」という故事を好むなど、人物養成を重視していました。ここ新島学園では、礼拝やチャペルアワーの時間を大切にされておられ、「キリスト教主義を教育に適用し、さらにこの主義をもって品行を磨く人物を養成したい」という新島の願いが安中の地で地域の皆様のご理解とともに生き続けている証だと思っております」と述べられました。

 最初の講演は、同志社女子大学現代社会学部山下智子教授であり、演題は「新島襄と安中、そして同志社-平和の使徒(つかい)、150年の志と希望-」でした。
 まず、群馬県の郷土かるたである「上毛(じょうもう)かるた」について話を始められました。上毛かるたは1947年に原案者の須田清基や浦野匡彦、県民らの協力で誕生しました。「上毛」とは群馬県の古称で、かるたでは群馬県の名所や人物を読んでいます。その中には、「平和の使徒(つかい) 新島襄」、「心の灯台 内村鑑三」も含まれており、群馬県では新島襄のことを知らない人はいません。
 1874年11月28日、10年ぶりに日本に戻った新島はすぐに横浜から人力車に乗って両親のいる安中に移動しています。新島の伝道により1875年1月、湯浅治郎、千木良昌庵らは聖書の勉強会を始めました。その後、1878年に安中教会が設立され、新島は湯浅治郎を含む30名に洗礼を授けました。安中教会の牧師は初代海老名弾正、第5代は柏木義円を含めて同志社出身者が数多くいます。
 新島襄の志を受け継いだ方として、以下の3人の紹介がありました。湯浅治郎は有田屋第3代当主であり、第2代群馬県会議長となり群馬を日本最初の廃娼県へと導いた人物です。新島亡き後の混迷の時期に同志社を無給で20年支えました。柏木義円は第5代安中教会牧師であり、「非戦の牧師」を呼ばれています。「上毛教会月報」を38年間459号発行しました。須田清基は柏木義円より安中教会で受洗し、牧師となり、台湾で伝道活動を行いました。良心的兵役拒否を訴えた人物であり、戦後の遊ぶものがない時代におもちゃの替わりとして、子どもたちが郷土のことを知り、誇りを持ってもらえるようにと「上毛かるた」を作成しました。
 新島襄のキリスト教、自由教育、自治教会という考えを受けた人々が「平和愛好の聖徒」となり、彼らの活躍が群馬県民の心を揺り動かし、「道義上州」の名が全国にひびきわたりました。
 また、同志社と新島学園及び安中の不思議な縁についてのエピソードも紹介されました。1940年11月29日、同志社創立65周年、新島襄永眠50周年記念として、今出川に良心碑が建てられました。石は碓氷石で碓氷郡原市の社友の半田善四郎氏が寄付しました。新島学園中学校・高等学校は1995年2月14日の新島生誕150周年記念として良心碑を建てることになりました。その際に、今出川の良心碑設置の際に、万一のためにもう一基同じものを作成したということを知っていた方が関係者におられ、まだ保管されていた石を見つけられ、それが新島学園に設置されました。つまり、同志社大学今出川キャンパスの良心碑と新島学園中学校・高等学校良心碑は双子であり、ここにも同志社と新島学園、そして安中の縁が感じられます。(写真:新島学園の良心碑)
 安中において新島襄の心の遺伝子を受け継いだ「平和愛好の聖徒」たちは教育分野、福祉分野、人権や平和のために活躍しました。そのことは、上毛かるたを通して子どもたちに受け継がれています。安中市と同志社の皆さまがこの奇跡のようなつながりに思いを馳せて下さることを、さらなる未来への志と希望としたいという言葉で、山下教授は講演を締めくくられました。
 

続いて、元プロサッカー選手で、現在はテレビのコメンテーターとして活躍されている中西哲生氏が「新しい未来 新しい自分」という演題で講演をされました。
 まず、アイスブレイクとして、コップを例にとりながら、コップを下向きでは何も入らない(吸収できない)、上向きにするには、自ら興味を持ち、笑顔で前向きにどんなことでも素直に受け入れるという気持ちが大切だと述べられました。
 現在、50人を超えるプロサッカー選手に指導をされており、ご自身の経験とプロ選手へのコーチングで使用されている事例を交えて、よりよい明日を作るため、今日すべきことの大切さについて語られました。選手に対しても、こちらから教えるという姿勢ではなく、相手が自主的に教わりたい、練習したいという気持ちを大切にしており、それは同志社の自由や自主性を重んじる校風から自然と身についたように思うと述べられた。また、プロ選手は呼吸や姿勢を大切にしており、体の左右差を改善することでよりよいパフォーマンスを出すことができることを、映像や事例を交えながら、時には笑いに誘われて、聴衆はいつの間にか話に引き込まれていきました。
 中西氏は、成長するために大切なこととして、1.過去は変えられないがこれからのことは変えられる。つまり、今を変えなければ未来を変えることができない、2.今日やるべきと決めたことは明日に持ち越さない、未来の時間を使わない、最後に、誰かが何かをしてくれるわけではない。自分しかやれない。自分と向き合い、今を変えることで、未来を変えることができると、聴衆に語り掛けて話を終えられました。
 

 講演会の締めとして、共催者であり、講師の選定や講演会場の提供から講演準備などのご協力をいただいた新島学園の湯浅理事長から挨拶がありました。「新島襄が蒔いた種が、湯浅治郎(新島襄から洗礼を受ける。第2代群馬県会議長、その後、同志社を無給で20年支える)、海老名弾正(初代安中教会牧師)などに受け継がれ、その志の遺伝子が今回の講演会の形で引き継がれている」と語られました。
 最後に、主催者を代表して岩井安中市長の挨拶があり、「2023年に学校法人同志社と包括連携協定を締結してから始まった講演会も3回目となり、同志社との橋渡しをいただいた新島学園の協力を得て、いろいろな分野の講師を招いていろいろな学びの機会となっている。今後も同志社、新島学園の協力を得ながら、安中市のより一層の発展のために努力したい」と述べられました。
 講演会終了後には、多くの聴衆が講師のお二人を囲み楽しそうに話をされたり、一緒に記念写真を撮るなど、講演会後も和やかな雰囲気が続いていました。

以上