同志社カレッジ・ソング 解説 

同志社女子大学名誉教授 児玉 実英

 同志社カレッジ・ソングは、新島精神を源流とする「同志社精神」を、力強く、また典雅に、うたいあげています。実は、その英語の歌詞にはウィリアム・M・ヴォーリズがこれを書いた1908年頃の英米の詩人たちがよく心得ていた伝統的な詩語が使われていたり、修辞法がふまえられたりしているのです。また当時は、多くの英米人が手にしていた英訳聖書の影響も見られます。カレッジ・ソングの歌詞の文法的な説明とともに、英語の歴史や、英米詩の流れの中で見るという視点もおりまぜて、解説してみたいと思います。

それぞれの解説をクリックしていただくと、その解説に飛びます。

第1連解説
第2連解説
第3連解説
第4連解説

第1連の解説

 最初の4行から読んでみましょう。
  One purpose, Doshisha, thy name
  Doth signify one lofty aim;
  To train thy sons in heart and hand
  To live for God and Native Land.
 1行目のDoshishaは、呼びかけで、「同志社よ」といっています。次にくるthy nameは、この文章の主語です。「汝の名は」という意味です。thyは代名詞yourの古い形。16世紀いらい英語の歴史の中で、よく使われてきました。ここでも、古風で典雅な雰囲気を詩全体に漂わせるように使われています。いわゆる詩語(poetic diction)として用いられています。同時にthy nameは、”Hallowed be thy name”(AV. Matt, 6, ix 欽定訳聖書, マタイによる福音書,6章,9節)「御名があがめられますように)(マタイによる福音書6章9節)という有名な主の祈りの一節を想起させます。それによってキリスト教的な含みを感じさせています。
 動詞はDoth signifyです。Dothは、助動詞doの3人称単数現在形doesの古い形です。ここでは、強調語として使われています。「意味するのである」といったところでしょうか。
 目的語は、冒頭のOne purpose「ひとつの目的、志」です。とくに強調するために、語順を変え、弱強調(iambic)のリズムもこわし、目的語を文頭にもってきています。英詩でよく使う手法です。ここでは短くいい尽くせていないので、改めて2行目でone lofty aim「ひとつの崇高な目的」といいなおして補い、それを動詞の後の所定の位置に置いています。
 今までの部分をつなぎあわせると、散文訳になりますが、「同志社よ、汝の名はひとつの目的、ひとつの崇高な目的を意味しているのである」となります。
 2行目の終わりのセミコロン;は、現在のスタイルシートでは、コロン:を用いるところでしょう。「すなわち」といった意味で使われています。ですから、3行目から4行目にかけて、To train以下は、崇高なる目的とはなにか、すなわち、といって、次に具体的に書いていくわけです。
 trainは動詞で「訓練する、育成する、はぐくむ」。To trainのto~は、スクール・グラマーでいう不定詞で、ここでは(すなわち)「~すること」(である)といいかえればよいでしょう。sonsはson(「息子」あるいは「息子のような関係の者」)の複数形ですが、複数形のsonsは、しばしば男女を問わず「子どもたち」、「子孫」を指します。例えば、the sons of Abrahamといえば、「アブラハムの子孫」です。ここでは、thy sonsであり、thyは「同志社の」の意味ですから、thy sonsは当然「同志社で学んでいる人たち」、つまり男も女も含めて「同志社の学生・生徒たち」を指すといってよいでしょう。

 (付記)1980年代から90年代にかけて、sonsには女性が含まれないから、sonsをやめて、かわりにheirs(相続人)に変更したらよい、という主張がありました。しかし、以上のようなわけで、その必要はありません。逆にheirsには、heiressという女性形があり、heirは基本的に男性を想定していることばと考えられていますから、問題の解決策としては不適切と思われます。
 in heart and handは「心も手も」ですが、「精神的にも肉体的にも」の意ととった方がよいでしょう。handは通常「腕」ではなく手首から先の「手」ですが、西洋ではしばしば「手」は修辞的に使われます。ここでは、「一部でもって全体を表わす」というシネクドキーsynecdocheとして使われている、と見てよいでしょう。したがって、手は「肉体」を意味しています。実はそういう表現方法は、日本でも「提喩法」といわれていて、日常的にも使われています。たとえば、自動車のことをクルマというのが、それにあたります。なお、ヴォーリズがアメリカで主事をつとめていたYMCA、近江八幡に設立した日本のYMCAの逆三角形の略章は、spirit, mind, bodyをさしますが、ここでbodyとせずhandとした今ひとつの理由は、次行のLandと韻をあわすため、と思われます。
 4行目 To liveのto~は、先ほどもありました不定詞ですが、ここでは目的をあらわすととり、to liveは「生きるため、生きるようにと」。そしてfor God and Native Land「神のため、祖国のため」と続きます。大文字のGで始まるGodは、いうまでもなくキリスト教の神をさします。
 Native Land「祖国」は、即「日本」ととってもよいと思う人もあると思いますが、作詞者ヴォーリズの意図としては、もっと広く、普遍的に、世界の国々の人にとっての祖国を含めたもの、というニュアンスで使っていたと思われます。その理由は、ひとつには、19世紀の欧米では、ネオプラトニズムの思想が底流にあり、ヴォーリズもその流れの中にあった、と思われるからです。その証拠に、頭文字をNとLという大文字を使っていますが、それはネオプラトニズムの慣例にならって、イデアとしての祖国という意味を示すためです。つまり、具体的な個々の祖国ではなく、これは観念としての祖国であることを示そうとしているのでしょう。でも、もうひとつの大切なことは、ヴォーリズが当時日本だけでなく欧米各国において「祖国」ということばが国粋主義的傾向をはらみ始め、それが排外的で危険な思想につながると見ていたことでしょう。彼は国家主義とかかわりのない純粋な姿の「祖国」を思い描いていたと思われます。それは新島精神とつながるものです。
 ここまでの部分の大意は、散文的な訳ですが次のようになります。
  同志社よ、その名はひとつの目的を意味しているのである。
  その学徒を、精神的、肉体的に導き鍛え
  神のため祖国のために生きていくように願うという
  ひとつの崇高な目的を。

 次の4行の解説に移ります。
  Dear Alma Mater, sons of thine
  Shall be as branches to the vine;
  Tho' through the world we wander far and wide,
  Still in our hearts thy precepts shall abide!
 Dear Alma Materは「親愛なる母校よ」という呼びかけです。もともとalma(アルマ)はラテン語でalmus(アルムス)という形容詞の女性形。意味は「養育してくれた、やさしい、親切な」。mater(マーテル)もラテン語で「母」。したがってアルマ・マーター(英語よみ)は「養育してくれた母」、転じて「母校」。
 sons of thineのthine[ðɑɪn]はthou「汝」の所有格、つまりyoursの古い形。いくつかの意味があります。ひとつは「汝のもの」。もうひとつはthyと同じ「汝の」ですが、次にくることばが母音で始まるときに使います。ここではofをともないof thineで、雅語的にthyと同じ「汝の」意。つまり「同志社の」です。似ているようないい方ですがfather of thineといえば、「汝の父」の意です。
 sonsは「学生、生徒たち、学徒たち」。shall be「(きっと)なるであろう」。語り手の強い願望がこめられた表現です。
 as branches to the vine「ぶどうの枝がその幹につながるように」。5行目から6行目の大意は、「親愛なる母校よ、汝の学徒はぶどうの枝のように母国につながりゆき、豊かな実を結んでゆくことだろう」。このぶどうの枝の比喩は、有名な聖書のことばが下敷きになっています。
  I am the vine, ye are the branches. (AV, John, 15, v)
  わたしはぶどうの木、あなたがたは、その枝である。(ヨハネによる福音書15章5節)
このことばの前後の文脈をたどると、ぶどうの枝がその幹につながっていれば、その枝には豊かにぶどうが実る。そのように人々もキリストにつながっていれば豊かな生をえられる。そういった含みが、この歌詞の奥に二重うつしになっているのです。翻訳では、そのように二重うつしは残念ながら、うまく移しだせません。
 (付記1)聖書を含め古典などにたいし、暗に言及して意味の層をふくらませる手法は、西洋修辞法でアルージョンallusion(引喩)といいます。先ほどのthy nameもHallowed be the nameへのアリュージョンと見てよいでしょう。ちなみに、日本文学にもこれに似た技法があります。短歌の「本歌どり」は、この一種です。
 (付記2)この2行の韻のふみかたは、注目に値します。sons of thineとvineと韻をあわせていますが、意味の上でつながりのあることばで韻をふんでいくのは、一種の超絶技法です。押韻された2つのことばを並べるだけでひとつのイメージを浮かび上がらせることができるからです。第2連のanewとtrue。第3連のalarmsとarms, peaceとincrease, nameとfameなど、押韻で有名なアレクサンダー・ポープには及ばないとしても、かなり高度な技術を意識して書いていると思われます。
 第1連最後の2行へと続きます。最終行の文頭Stillは副詞で、「これから先もなお、この後もずっと」。想像以上に長く続くというニュアンスがあります。Tho’はThoughの省略形。ここではeven though「たとえ・・・とも」の意。through the worldは、文字どおり「世界中、世界くまなく」。wander[wɔ́ndə]「歩きまわる」。far and wide「遠くまた広く」。主語はthy precepts「汝の教訓」です。複数形に注意。「汝」は同志社ですから、「同志社で学んだいろいろな教え」。動詞はshall abide「生き続けることだろう」。散文的ではありますが、この4行の訳はこうなります。
  親愛なる母校よ、同志社の学徒はぶどうの枝のごとくつながりゆくであろう。
  たとえわれわれが、世界くまなく、遠くまた広く、
  さまよい歩こうとも、
  同志社で学んだいろいろな教訓はわれわれの心の中に、
  この後もずっと生き続けることだろう。

第2連の解説

  We came to Doshisha to find
  The broader culture of the mind;
  We tarried here to learn anew
  The value of a purpose true;
 第2連の最初の4行です。ここで大切なのは、2行目、The broader culture of the mindでしょう。broaderは形容詞の比較級で「より広い」。cultureはしばしば「文化」と訳されていますが、ここでは「教養」。「より幅広い教養を求めて、われわれは同志社へきた」となりますが、同志社で、アーモスト大学などのリベラル・アーツ教育の伝統が受けつがれていることが、うたわれています。
 tarriedはtarry「ふみとどまる」の過去形。anewは「もう一度、改めて」。第2連の前半の4行の訳は、次のようになります。
  われわれが同志社にきたのは、
  心のより広き糧を求めてだ。
  われわれは、真の目的の価値を、
  新たな意味において学ぼうとし、
  ここにふみとどまっているのだ。
 続いて第2連の後半をあげます。
  Dear Alma Mater, ours the part
  To face the future staunch of heart,
  Since thou hast taught us with high aim to stand
  For God, for Doshisha, and Native Land!
5行目のours the partですが、散文的にいいかえるとour part isです。語順をかえ、isを省いて、力強い文章としています。「われわれのつとめは、・・・である」
 6行目のstaunch of heartも粋な表現です。staunchは形容詞で「堅固な、ゆるぎない」という意味ですが、ここでは詩の中ですので詩的な慣例で副詞扱いをしています。「堅固に、ゆるぎなく」です。ofは状態を表わしinに近いニュアンスで、strong in heartに似た副詞句になっています。「心は堅固に」とか「ゆるぎない心をもって」といった意味です。
 7行目のhastはhaveの古語。だからthou hastはyou haveと同じ意味なのですが、ニュアンスが異なり、重厚で雅な学風の気配を感じさせています。
 7行目から8行目stand Forは「賛成の態度を示す、支持する、・・・のために立つ、役立つ、戦う」の意。
 (付記3)作詞者ヴォーリズは、アーモスト大学の校歌「ジェフリー・アーモスト卿」の歌詞を知っていたかどうか、わかりません。しかし可能性はあります。というのは、”Lord Jeffery Amherst”の最終行でstand forという熟語を同じように使って、似たようなしめくくり方をしているからです。
       he’s the noblest and the best,
    To the end we will stand fast for him.
  このstand forという熟語は、ヴォーリズが、同志社カレッジ・ソングの第3連でも使っています。また第4連では、may have stood forという未来完了の形で現われます。
第2連後半の訳をそえておきます。
  親愛なる母校よ、われわれのつとめは、
  堅き心をもって、未来に立ち向かうことである。
  なぜなら同志社は、
  神のため、同志社のため、また祖国のために
  役に立てよと、高い目的をもって
  われわれに教えてきたからである。

第3連の解説

 第3連前半の4行です。
  When war clouds bring their dark alarms,
  Ten thousand patriots rush to arms,
  But we would through long years of peace
  Our Country's name and fame increase.
1行目のwar cloudsは「戦雲」。戦争のきざしのこと。alarmsは「警報、警鐘」。2行目のarmsは、通常、複数形の場合「武器、兵器」の意、この2行の大意は、「戦争のきざしが漂い、陰うつな警鐘がうち鳴らされるとき、多くの愛国者はすばやく武器を手にとろうとする」。
 大切なのは、その次の3行目と4行目でしょう。「しかしわれわれは、長年の平和をとおして・・・」と続きます。3行目の主語はwe。動詞はwould・・・increase「・・・を増やしたいと思う」。目的語はOur Country's name and fame「われわれの祖国の名声」。3、4行目の大意は、「しかしわれわれは、長年にわたる平和をとおして、祖国の名声を高めたいと思う」といったところでしょうか。
  戦雲がその険悪な動向を示すとき,
  いく万の愛国者は武器をもってはせ参ずる
  しかしわれわれは
  久しきにわたる平和の年月のうちに
  祖国の名を名声を
  いやましにましたいと思う。
 第3連の後半部
  Dear Alma Mater, sons of thine
  Will hold their lives a trust divine.
  Steadfast in purpose we will ever stand
  For God, for Doshisha, and Native Land!
5行目から6行目の主語はsons of thine「同志社で学ぶ人たち、学んだ人たち」。動詞はwill hold「考えてほしい、考えて学んでもらいたい」willは指図に近い強い願望。their livesは目的語で「その生、その生涯」。a trust divineは目的補語。aは通常「ひとつ」の意味ですが、ここでは、抽象名詞を普通名詞化して可視化する用法。divineは「神の」。形容詞で前のtrustにかかる。trustは「信頼、信託、ゆだねること」。ここでは”In God is our trust”(アメリカ国歌第4連)、”I trust in thee”(AV, Ps.,25,ii「わたしはあなたに依り頼みます」)、”In God we trust”(アメリカのナショナル・モットーで紙幣やコインに書かれたり刻まれたりしている「我々はすべてを神に託す」)などと共鳴していると思われます。a trust divine「神を信頼すること」。5~8行の大意は、「親愛なる母校よ。その学徒は、その生に、神への信頼をもって、歩みゆくことだろう。確固不動の目的をもって、たえず、われわれは、神のため、同志社のため、また祖国のために、立とうとするものである」。

第4連の解説

  Still broader than our land of birth,
  We've learned the oneness of our Earth;
  Still higher than self-love we find
  The love and service of mankind.
 文頭のStillは副詞で「さらに・・・とはいえ、・・・だけれども」。broaderは「広い」の比較級「より広い」。意味上の主語は2行目のour Earthですが、重複を避けるため、省かれています。1行目の大意は「われわれの地球は、われわれの祖国より、さらに広いとはいえ」。
 2行目 We've learned=We have learned. 現在完了形で「われわれは学んだ」。 the oneness of our Earth「われわれの地球(に住む人類)がひとつであること」。この句は聖書のことばをふまえています。
   that we may be one. (AV, John,17,xxi)
   これみなひとつならんためなり。(ヨハネによる福音書17章21節)
この聖句は、ヴォーリズが親しんでいたYMCAのモットーでもありますが、次の詩行で展開される人類愛の精神や同志社の国際主義を引き出すことばとして置かれています。
 3行目から4行目にかけての文章の主語はwe、動詞はfind、目的語句がthe love and service of mankindです。3行目の文頭に置かれているStill higher than self-loveは目的補語です。このStill higherは、1行目のStill broaderと対句の形に整えられていますが、Stillの意味はちがいます。3行目のStillは形容詞higherにかかる副詞で、その意味は「なお、いっそう」。最初の4行の訳は次のようになります。
  われわれが生まれた国よりも
  さらに広い世界といえども、
  それは一つであることを、われわれは学んだ。
  自己愛よりもいや高き人類愛と奉仕の精神を
  われわれは会得した。

 第4連の後半部に移ります。最後の4行です。
  Dear Alma Mater, sons of thine
  Would strive to live the life divine;
  That we may with increasing years have stood
  For God, for Doshisha, and Brotherhood!
主語はsons of thine。動詞はWould strive「努力したいと思う」。to live the life divine「神にある生涯を送るよう」。7行目のthat以下は副詞節。That...may…は「・・・せんがために」。with increasing years「重ねゆく年とともに」。Stand for…は先ほども出ましたが「・・・に賛意を示す、・・・のために立ちあがる、・・・のために戦う」。may have stood forは強い可能性を含めた未来完了形で、「・・・のために戦い尽くしたといえるために」。Brotherhood「同胞たち」。以下、第4連の最後の4行の訳を掲載します。
  親愛なる母校よ、その学徒は
  聖なる生涯を送らんがため、励もうとしている。
  重ねゆく年とともに、
  神のため、同志社のため、同胞のため、
  かえりみて悔いなからんがために。

 同志社のカレッジ・ソングは、この第4連で終わっていますが、改めて見なおすと、この歌全体の構成が、みごとに整っていることに気づきます。各連の前半4行では、同志社教育の基本―キリスト教主義、教養主義、平和主義、良心主義、国際主義―が語られます。そして後半の4行では、どの連もDear Alma Materで始まり、同志社の学生・生徒のあるべき理想的な生き方が示されています。
 その上、またこの詩には、無駄なことばがありません。隙のない強固な構造の中に、圧縮されたことばが埋められています。つまり、形式そのものが意味をもっているのです。それは歌われている内容、つまり同志社の存在意義の、堅実・堅牢さを象徴的に表わしている、と思われます。

あとがき

 約10年前、2015年春のことでした。同志社東京オフィスで東京新島研究会の講演会が開かれたときのことです。私がカレッジ・ソングの日本語訳や解説をしたあと、この歌詞は詩としてすばらしい、といった話をしたことがありました。そのことを多田直彦さんが要約して『同志社ファン・レポート』に掲載され、さらにその話をもっと詳しく書いてほしい旨、氏から長年にわたりご依頼をいただいておりました。遅くなって申し訳ありません。おわび申し上げます。
 その後本文を書くにあたって、杉野徹氏ご夫婦や村上みか氏にはいろいろご教示いただきました。また本井康博氏、押本年眞氏の解説も参考にさせていただきました。厚く御礼申し上げます。