ジェローム・D・デイヴィス先生の曾孫 エレノア・ラネイさん訪問される


(報告者)
同志社社史資料センター第1部門研究(新島研究)
大鉢 忠

 ジェローム・デイヴィス先生は同志社の3人の創立者の1人として知られ、その肖像画が今出川キャンパスの同志社礼拝堂(チャペル)内の演壇の左側壁に山本覚馬の肖像画と並び、右側壁の新島襄の肖像画と共に掲げられています。また同志社大学の入学式の行われる京田辺キャンパスのデイヴィス記念館の名前にも使われています。
 そのデイヴィス先生の曽孫のエレノア・ラネイさんが長女のマーガレットさんと共に2024年4月12日金曜日米国カルフォルニアから同志社を訪問され、13時より八田英二同志社総長・理事長と有終館2階理事長室にて面談された後、曽祖父の肖像画を見学、新島研究関係有志と懇談されました。
 エレノア・ラネイさんの母親ヴァージニア・デイヴィス・ワトキンス・ジョスリン(1910-1999)さんは日本美術史家でデイヴィス先生の息子のジョン・マール・デイヴィスの長女でした。マール・デイヴィスは同志社開校の1875年の11月にデイヴィスの自宅であった京都御所内旧柳原家で誕生し、デイヴィスの伝記[Davis Soldier Missionary『宣教の勇者』北垣宗治訳]の著者で、東京のYMCAの主事をされた人でした。母親ヴァージニア・デイヴィス・ワトキンスさんは御主人ワトキンスさんが1972年に亡くなられて再び京都に戻られ、1973年から74年同志社女子大学で英語の先生をされ、[同志社女子大学学内礼拝No.8 1974年3月;卒業礼拝]再び1980年に同志社国際高校開校の際に来日されて1984年まで同志社国際高校で日本美術史を担当され、また同志社女子大学でも英語を担当されました。1980年には同志社女子大学ジョスリン先生と同志社礼拝堂チャペル内のデイヴィス先生肖像画前で結婚式をされました。[「日本の思い出」同志社時報79号pp. 96-98(1985)]
 エレノアさんは母親ヴァージニア・デイヴィス・ワトキンス・ジョスリン、祖父マール・デイヴィス、曾祖父ジェローム・デイヴィスさんの思い出を胸に来校、八田英二総長・理事長にそれらを説明されていました。
 八田総長・理事長との面談後インフォーマルな形で同志社社史資料センター第1部門研究(新島研究)のメンバー8名が有終館1階第2会議室にお二人をお迎えし、メンバーの紹介後、同志社礼拝堂のデイヴィス先生の肖像画のところへ案内しました。その後、お二人はデイヴィス先生がアメリカから取り寄せて組み立てられたと伝えられている彰栄館の時計を外から眺められ、ハリス理化学館の常設展示にあるデイヴィス先生の写真やデイヴィス先生が同志社との契約されたときの契約書を御覧になり、再び会議室に戻って懇談をされました。
 新島研究グループの有志は近くデイヴィス先生の手書き書簡を復刻出版される森永長壹郎、八木谷涼子、森一郎、坂本清音、児玉実英、伊藤彌彦、吉川健各氏と大鉢の8名でした。新島研究に関係される有志の方達にとって、デイヴィス先生の関係者と直接お会いして言葉を交わすことができる機会が与えられ、見学中と懇談の席で予定の15時まで大いに会話が盛り上がっていました。
 エレノアさん親子は2日前に京都に来られ清水寺、金閣寺など桜満開の京都を楽しまれたそうで、同志社の後に瀬戸内海の直島へいかれるとのことでした。

新島襄夫妻と共に左からマーガレットさん、八田総長・理事長、エレノアさん

曽祖父のデイヴィス先生の肖像画の前で

新島研究会有志と共に

同志社礼拝堂の前で