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テキストメッセージ

受験を考えていた高3時代、複数の大学から入学案内を取り寄せました。そのうちの一つである同志社大学のページを開いた私の目に飛び込んできたのは、青空にそびえ立つ赤煉瓦のクラーク記念館と、そこに語られた創立者新島襄の圧倒的な人生でした。これらは私のその後の進路を決定づけるのに十分な要素であったのです。

国際学院初等部 教員

石川 眞弓様

同志社のスポーツの歴史を後世に残す本を執筆するにあたり新島先生の足跡を辿りその過程でひらめいた事が先生からの御言葉と考え「同志社スポーツの歩み」として形にできました。先生が1884年8月にミラノからルツェルンに辿られたのと同じルートで私も旅をしました。呼吸困難になられて遺書を書かれたサン・ゴタール峠のホテルが今も営業しており、私もそのホテルに宿泊しました。今までで最も思い出深い旅となりました。

同経会副会長、同志社スポーツユニオン常任顧問

中村 恭俊様

1985年3月同志社大学経済学部卒業(同志社中学、同志社高校卒)

母校での教員生活45年を合わせて半世紀以上今出川に通った。毎朝の礼拝を通して多くの讃美歌に出会い、心の支え・体の一部となっている。退職後、3か月に1度讃美歌会を開催し、多くの卒業生たちと共に歌い、良き交わりの時を過ごせる喜びを感謝している。

同志社同窓会様

1967年同志社女子中学校高等学校、1971年同志社女子大学卒業

『地球の歩き方 同志社編』がついに創刊!今出川・京田辺キャンパスをはじめ、全国ゆかりの地を巡る旅のガイドブックです。各地のQRコードから解説を読み、全国統一された案内板で同志社博物館としての一体感を味わえます。歴史的なルートやテーマ別の活用事例も満載。これを手に、新島襄と同志社の新たな魅力を再発見してください。

同志社ファンを増やす会

多田 直彦様

1960年同志社大学文学部教育学専攻卒業

150周年 誠におめでとうございます! 田辺のキャンパスに初めて登校した日を昨日のように思い出します。当時はまだ新しく芝生の上でよく寝転んだものです(笑) 在学中に120周年がありました。あれから30年。京都も今ほど外国人がおらずホントにのんびりしてました〜。

高木 克典様

1996年同志社大学卒業

同志社創立150周年、誠におめでとうございます! 稀代の教育者、新島襄先生の良心教育はダイバーシティ&インクルージョンの社会において、必須の教育方針と確信しています。 今後、益々のご発展を心から祈念申し上げます。

PEACE様

2016年同志社大学大学院卒業

当時、能楽部に所属していました。コロナ禍で様々な活動に制限がありましたが、それでも工夫して御所で練習したり鴨川で練習したりとよい思い出がたくさんあります。今でもそこを通るたびに当時の記憶が蘇ります。

おむ様

2024年同志社大学政策学部卒業

新島襄の望みはアメリカでの両親 A.ハーディ夫妻や出会った会衆派のキリスト教信者たちの神と奉仕の精神であり、理科教育をサポートした J. N.ハリス氏の言葉 TO SERVE GOD AND HUMANITY (京田辺キャンパス理化学館の梁にある) 神と人類への献身という言葉に示されています。

大鉢 忠様

1964年同志社大学工学部電気工学科卒業

私は同志社未来創造プロジェクトメンバーとして4年間活動をし、さまざまなイベントに携わってきました。同志社人による写真&メッセージ「あなたにとっての良心とは」では、「一人ひとりを大切にする」という言葉を選びました。新島襄先生のこの精神と姿勢をこれからも大切にし続けていきたいと思います。

同志社国際中学校・高等学校 教員

栗林 美紀様

グリークラブを卒業して47年。今もグリーOBは、卒業30年、40年、50年の節目に集う同窓会が伝統だ。また学生時代と同様に、関西学院、早稲田、慶應義塾のOB合唱団と隔年のステージで競演している。男声合唱の楽しさを文字通り謳歌した4年間。心に灯された合唱音楽の炎が今も燃え続けていることに不思議な感動を覚える。

1987年同志社グリークラブ卒業

森島 敏夫様

1987年同志社大学法学部法律学科卒業

自分さえ良ければと考える人が多い時代。今こそ、良心が大切だ。戦争や差別、貧富の差などの問題を解決できるのは人の心の中にある良心しかないと思います。

馬場 憲明様

1982年同志社大学卒業

社会人院生として過ごした同志社での2年間は、課題や修論に真摯に向き合い、多くの出会いに恵まれたかけがえのない時間でした。その学びは、今も私の揺るぎない原点です。150周年を迎えたこの学び舎が、これからも多くの人々に未来を切り拓く力を届け続けることを心から願っています。

山口 洋典ゼミ

藪田 里美様

2011年同志社大学大学院卒業