ゼミは古文書を読む必要があり、往生しました。私は不真面目ゆえ、卒論の締切に間に合わず、先生の寓居に叱責覚悟で伺ったところ、破顔一笑、「今日は娘の4年に一度の誕生日、ありがとう!」とおっしゃり、卒論を受け取ってくださいました。卒業後は仲人もしていただき、お亡くなりになるまで、ご厚誼をいただきました。
藤田貞一郎先生のゼミ(日本経済史)
ゼミは古文書を読む必要があり、往生しました。私は不真面目ゆえ、卒論の締切に間に合わず、先生の寓居に叱責覚悟で伺ったところ、破顔一笑、「今日は娘の4年に一度の誕生日、ありがとう!」とおっしゃり、卒論を受け取ってくださいました。卒業後は仲人もしていただき、お亡くなりになるまで、ご厚誼をいただきました。
藤田貞一郎先生のゼミ(日本経済史)
同志社創立150周年おめでとうございます。 同志社大学で学んだ4年間は私の人生において、とても大切な時間でした。 この先も、同志社大学で素晴らしい学びの機会を得た学生が、世界中で活躍することを願っています。 最後に、福井の田舎の高校生だった私を学生として受け入れてくださった大学と、「同志社で学んでこい」と背中を押してくれた両親に感謝しています。
2018年同志社大学商学部卒業
毎朝の礼拝は試験勉強と睡眠の時間の様でしたが、知らず知らずのうちに、先生方の教え導きは心に染み付いていた様で、大人になってそれに気付きました。在校生の皆さんも、今はわからなくても、同志社で得たものは、その後の人生の芯となると思います。
同志社女子高等学校、1985年同志社大学卒業
卒業して52年、その間に150周年と150周年を二度お祝いすることが出来ました。200周年は無理としても、同志社を卒業して本当に良かったと思う毎日です。今もなお同志社を通して新しい友人が増え続けています。新島襄・八重、山本覚馬の思うを受け継ぎ、これからも同志社のため、日本のために、微力ながらも尽くして参ります。
体育会重量挙部、森ゼミ
1973年同志社大学卒業
新島襄が学んだアーモスト大学は19歳の私にとっても大切な学舎でした。サマー・プログラムは刺激にあふれ、恩師と一生の友だちをもたらしてくれました。
創立150周年ツアーでこの夏に再訪。60歳の私にとっても良心教育、献身、自由主義が深く身に染みました。同志社の原点は永遠です。
1987年同志社大学工学部電子工学科卒業
同志社創立150周年、おめでとうございます。 在学中に友人達と学び遊んだことが、今の仕事や家族に繋がっていることを実感しています。 全てはぶどうの木につながっての恵みです。 感謝!
1983年同志社大学経済学部卒業、1999年同志社大学大学院総合政策科学研修科修了
同志社で出会った友人たちと過ごした日々は、私にとってかけがえのない思い出です。授業やゼミでの学びに加え、アルバイトを通じて得た経験も含め、同志社で過ごした時間は私を大きく成長させてくれました。150周年を迎えるこの機会に、その恵まれた環境への感謝を改めて伝えたいです。
同志社大学3回生
150周年おめでとうございます。記念すべき節目を共にお祝いでき大変嬉しく思います。昨年グレイス教会での記念礼拝に参列いたしました。若き新島先生が多くの人に支えられ、助けられて道を切り拓かれた事を体感し、現代を生きる私達が何を大切にして生きるべきかを学びました。同志社の益々のご発展をお祈りいたします。
同志社女子大学同窓会《Vineの会》会長
1992年同志社女子大学短期大学部卒業
150周年おめでとうございます。同志社で学んだ10年。京都で仕事をしていると、仕事の場でも同志社OGと言うと、OBOGの方と話が繋がり信頼していただけます。同志社の自由な校風で良心を学んだ根っこが同じ。根っこが200年300年と広がっていくことを心より願います。
1987年同志社大学文学部英文学科卒業、1982年同志社高等学校卒業
受験を考えていた高3時代、複数の大学から入学案内を取り寄せました。そのうちの一つである同志社大学のページを開いた私の目に飛び込んできたのは、青空にそびえ立つ赤煉瓦のクラーク記念館と、そこに語られた創立者新島襄の圧倒的な人生でした。これらは私のその後の進路を決定づけるのに十分な要素であったのです。
国際学院初等部 教員
同志社のスポーツの歴史を後世に残す本を執筆するにあたり新島先生の足跡を辿りその過程でひらめいた事が先生からの御言葉と考え「同志社スポーツの歩み」として形にできました。先生が1884年8月にミラノからルツェルンに辿られたのと同じルートで私も旅をしました。呼吸困難になられて遺書を書かれたサン・ゴタール峠のホテルが今も営業しており、私もそのホテルに宿泊しました。今までで最も思い出深い旅となりました。
同経会副会長、同志社スポーツユニオン常任顧問
1985年3月同志社大学経済学部卒業(同志社中学、同志社高校卒)
母校での教員生活45年を合わせて半世紀以上今出川に通った。毎朝の礼拝を通して多くの讃美歌に出会い、心の支え・体の一部となっている。退職後、3か月に1度讃美歌会を開催し、多くの卒業生たちと共に歌い、良き交わりの時を過ごせる喜びを感謝している。
1967年同志社女子中学校高等学校、1971年同志社女子大学卒業