自分さえ良ければと考える人が多い時代。今こそ、良心が大切だ。戦争や差別、貧富の差などの問題を解決できるのは人の心の中にある良心しかないと思います。
馬場 憲明様
1982年同志社大学卒業
数多くのご応募、誠にありがとうございました。
同志社創立150周年を記念して、お寄せいただいたメッセージをご紹介します。
Special Messageは、同志社関係者の6名からお祝いのお言葉をいただきました。
そして、テキストメッセージ、写真・イラストのメッセージ、ムービーメッセージの順にご覧いただけます。
11月14日(金)締切
同志社で出会った沢山の仲間、そして挑戦を受け入れてくれる空気が、フェンシングで世界を目指す自分の原点でした。
これからも挑む人を応援し、社会に新しい風を起こす存在として、同志社が輝き続けることを願っています。
国際オリンピック委員会 委員/日本オリンピック委員会 専務理事/国際フェンシング連盟 理事
2008年同志社大学商学部卒業
20年以上の付き合いになる友人。卒業後も新たにつながる先輩や後輩とのご縁。
自分の考えを行動に移す楽しさ。自由な発想力とそこに伴う責任。
これらは全て同志社で得た私の宝物。
同志社人であることは私の誇りです。
これからも大切に育てながら誰かの心に寄り添える人でいたいです。
創立150周年おめでとうございます。
KBS京都アナウンサー
2010年同志社大学経済学部卒業
私たち個人は小さな存在だ。しかし校祖・新島襄の精神を共有したとき、大きな山脈になる。
伝統の基礎を固めた先達よ、今、学舎(まなびや)を守る学徒よ、そしてまだ見ぬ未来の後進よ、私たちは連綿と続く「同志社人脈」の一員である。
ノンフィクション作家・評論家
1963年同志社大学文学部卒業
同志社が生まれた明治八年は、日本の近世から近代への移行のひずみがそこここに強く残る時代でもありました。
幕末維新期に青春時代を過ごした新島襄によって創立され、近代の成長と常にともに歩み続けた同志社が、これからの時代に如何にあり続けるのか。
新たな歴史への旅立ちを心よりお祝い申し上げます。
作家
2000年同志社⼤学⽂学部卒業、同⼤学院博⼠前期課程2002年修了
Greetings, I am Sean Harkness, descendant of Joseph Hardy Neesima.
It is a high honor to participate in Doshisha 150.
Last time we toured Doshisha, my wife Takako and I visited Neesima-san's grave where I played a guitar meditation. I also played guitar in Hardy Hall, where I will be performing this November 30.
Professional guitarist
*A. Hardy is said to be the American father of Jo Neesima.
新島先生の書「真理似寒梅敢侵風雪開」(真理は寒梅のごとしあえて風雪を侵して開く)の筆跡には、骨太さと同時に自由な運びがあります。
その言葉のとおり同志社設立と女子教育を進めてくださったお陰で、私は大学で一生の友に出会い、今なお挑戦する姿から刺激を受けています。
同志社で学べたことに心から感謝しています。
書家
2000年同志社女子大学生活科学部人間学科卒業
新島先生の書「真理似寒梅敢侵風雪開」(真理は寒梅のごとしあえて風雪を侵して開く)の筆跡には、骨太さと同時に自由な運びがあります。
その言葉のとおり同志社設立と女子教育を進めてくださったお陰で、私は大学で一生の友に出会い、今なお挑戦する姿から刺激を受けています。
同志社で学べたことに心から感謝しています。
書家
2000年同志社女子大学生活科学部人間学科卒業
同志社で出会った沢山の仲間、そして挑戦を受け入れてくれる空気が、フェンシングで世界を目指す自分の原点でした。
これからも挑む人を応援し、社会に新しい風を起こす存在として、同志社が輝き続けることを願っています。
国際オリンピック委員会 委員/日本オリンピック委員会 専務理事/国際フェンシング連盟 理事
2008年同志社大学商学部卒業
20年以上の付き合いになる友人。卒業後も新たにつながる先輩や後輩とのご縁。
自分の考えを行動に移す楽しさ。自由な発想力とそこに伴う責任。
これらは全て同志社で得た私の宝物。
同志社人であることは私の誇りです。
これからも大切に育てながら誰かの心に寄り添える人でいたいです。
創立150周年おめでとうございます。
KBS京都アナウンサー
2010年同志社大学経済学部卒業
私たち個人は小さな存在だ。しかし校祖・新島襄の精神を共有したとき、大きな山脈になる。
伝統の基礎を固めた先達よ、今、学舎(まなびや)を守る学徒よ、そしてまだ見ぬ未来の後進よ、私たちは連綿と続く「同志社人脈」の一員である。
ノンフィクション作家・評論家
1963年同志社大学文学部卒業
同志社が生まれた明治八年は、日本の近世から近代への移行のひずみがそこここに強く残る時代でもありました。
幕末維新期に青春時代を過ごした新島襄によって創立され、近代の成長と常にともに歩み続けた同志社が、これからの時代に如何にあり続けるのか。
新たな歴史への旅立ちを心よりお祝い申し上げます。
作家
2000年同志社⼤学⽂学部卒業、同⼤学院博⼠前期課程2002年修了
Greetings, I am Sean Harkness, descendant of Joseph Hardy Neesima.
It is a high honor to participate in Doshisha 150.
Last time we toured Doshisha, my wife Takako and I visited Neesima-san's grave where I played a guitar meditation. I also played guitar in Hardy Hall, where I will be performing this November 30.
Professional guitarist
*A. Hardy is said to be the American father of Jo Neesima.
20年以上の付き合いになる友人。卒業後も新たにつながる先輩や後輩とのご縁。
自分の考えを行動に移す楽しさ。自由な発想力とそこに伴う責任。
これらは全て同志社で得た私の宝物。
同志社人であることは私の誇りです。
これからも大切に育てながら誰かの心に寄り添える人でいたいです。
創立150周年おめでとうございます。
KBS京都アナウンサー
2010年同志社大学経済学部卒業
私たち個人は小さな存在だ。しかし校祖・新島襄の精神を共有したとき、大きな山脈になる。
伝統の基礎を固めた先達よ、今、学舎(まなびや)を守る学徒よ、そしてまだ見ぬ未来の後進よ、私たちは連綿と続く「同志社人脈」の一員である。
ノンフィクション作家・評論家
1963年同志社大学文学部卒業
同志社が生まれた明治八年は、日本の近世から近代への移行のひずみがそこここに強く残る時代でもありました。
幕末維新期に青春時代を過ごした新島襄によって創立され、近代の成長と常にともに歩み続けた同志社が、これからの時代に如何にあり続けるのか。
新たな歴史への旅立ちを心よりお祝い申し上げます。
作家
2000年同志社⼤学⽂学部卒業、同⼤学院博⼠前期課程2002年修了
Greetings, I am Sean Harkness, descendant of Joseph Hardy Neesima.
It is a high honor to participate in Doshisha 150.
Last time we toured Doshisha, my wife Takako and I visited Neesima-san's grave where I played a guitar meditation. I also played guitar in Hardy Hall, where I will be performing this November 30.
Professional guitarist
*A. Hardy is said to be the American father of Jo Neesima.
新島先生の書「真理似寒梅敢侵風雪開」(真理は寒梅のごとしあえて風雪を侵して開く)の筆跡には、骨太さと同時に自由な運びがあります。
その言葉のとおり同志社設立と女子教育を進めてくださったお陰で、私は大学で一生の友に出会い、今なお挑戦する姿から刺激を受けています。
同志社で学べたことに心から感謝しています。
書家
2000年同志社女子大学生活科学部人間学科卒業
同志社で出会った沢山の仲間、そして挑戦を受け入れてくれる空気が、フェンシングで世界を目指す自分の原点でした。
これからも挑む人を応援し、社会に新しい風を起こす存在として、同志社が輝き続けることを願っています。
国際オリンピック委員会 委員/日本オリンピック委員会 専務理事/国際フェンシング連盟 理事
2008年同志社大学商学部卒業
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自分さえ良ければと考える人が多い時代。今こそ、良心が大切だ。戦争や差別、貧富の差などの問題を解決できるのは人の心の中にある良心しかないと思います。
1982年同志社大学卒業
受験を考えていた高3時代、複数の大学から入学案内を取り寄せました。そのうちの一つである同志社大学のページを開いた私の目に飛び込んできたのは、青空にそびえ立つ赤煉瓦のクラーク記念館と、そこに語られた創立者新島襄の圧倒的な人生でした。これらは私のその後の進路を決定づけるのに十分な要素であったのです。
国際学院初等部 教員
「人生は二者択一の繰り返し」と言う。大学受験で二校に合格し、同志社を選んだ。未経験の合唱に誘われ、迷ったが入団を選んだ。その選択は吉だった。広告クリエイターの道に進む原動力となった。今般、「全同志社合唱祭」の実行委員長という栄誉を戴いた。終演での「同志社チアー!」は、万感の思いをこめた発声であった。
1973年同志社大学文学部卒業
同志社のスポーツの歴史を後世に残す本を執筆するにあたり新島先生の足跡を辿りその過程でひらめいた事が先生からの御言葉と考え「同志社スポーツの歩み」として形にできました。先生が1884年8月にミラノからルツェルンに辿られたのと同じルートで私も旅をしました。呼吸困難になられて遺書を書かれたサン・ゴタール峠のホテルが今も営業しており、私もそのホテルに宿泊しました。今までで最も思い出深い旅となりました。
同経会副会長、同志社スポーツユニオン常任顧問
1985年3月同志社大学経済学部卒業(同志社中学、同志社高校卒)
150周年おめでとうございます! 大学時代では、何にも変えられない素晴らしい時間をこの大学で過ごさせてもらいました! この大学で経験したこと、やりたいと思ったことが今の仕事にも繋がっていて、次は仕事を通して同志社大学に関われていること、大変嬉しく、誇りに思います。 新島襄の二百年の夢の中に、自身が関わっていることを胸に、自分の夢を追いかけていきたいと思います。
2022年同志社大学卒業
同志社創立150周年、心より深くお祝い申し上げます。 「自治自立」の精神で社会をひらく同志社ファミリーの一員であることを、本当に誇りに思います。 道草は、その原点!明るい未来を創る同志社に、乾杯!
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同志社大学茶道部(同志社大学2回生)
同志社ファンを増やす会
1960年同志社大学文学部教育学専攻卒業